【ソ-プ・コンパニオン】歓楽温泉「片山津温泉」はコロナでオンボロになっていた。【は絶賛営業中!】(3)

全国裏探訪取材班は、石川県加賀市「片山津温泉」にやってきた。ここはバブル期以前は北陸の温泉地として栄えていたんですけど、度重なる不況とそれに追い打ちをかけるコロナ不況で壊滅的な状態が続いているようだ。さて、今回もそんな温泉街の状況を見ていきましょうかね。

ここもかつて旅館だったところだろうか。完全にもぬけの殻になっているようだな。近年玄関とか1階のフロント近辺は改装されているようですけどコロナで閉館といったところか。

「古賀の井」

名門旅館の古賀の井だがここもコロナでとどめを刺され休館している見たいだな。設備もオンボロみたいだし脱落は当然か。

「NEW MARUYA HOTEL」

ここは元 MARUYAという旅館だったらしいが、湯快リゾート片山津温泉として営業中のようだな。片山津温泉では近年、廃業や経営不振で立ち行かなくなったホテルを大資本が買取り再生して格安の観光ホテルとして再開業させる手法を多くのホテルで導入しているようだ。まぁ大資本側からすると居抜き物件を使えるし効率がいいらしい。

「スナック 喫茶 機甲」「藤」

さて、この片山津温泉は古くより歓楽温泉として栄えていたようだがいつからピンク営業をしていたんでしょうか。昭和5年の全国遊廓案内の続きを見ていきましょう。「右の四温泉場は北陸の四大温泉場で、同時に北陸の四大観樂境に成つて居る。旅館の設備等は實に至れり盡せりで、箱根、鹽原等に優るとも劣る事は無い。明治から大正の初め頃迄は多勢の女中が居て、盛んに春を賣つて居たものだった。(続)」

ここは片山津温泉の中でも一番高級とされる「矢田屋 松濤園」という旅館だ。

「所謂「湯女」の一種で、土地では「シシ」と云って居た。それが時勢の進運に伴つて獨立した「藝妓」と云う職業婦人に昇格して居る。金澤附近は美人系が通つて居るので、仲々美人が多く、性は純朴で情緒は濃厚だ。遊廓では無いが、何處の温泉旅館にも藝妓が這入るので、日夜弦歌の絶え間が無い。(続)」

温泉旅館が立ち並び、日本海の海の幸に、美人の湯女。これは当時としては最高の贅沢だったのではないだろうか。こんなサービスを受けれるのはそれなりの身分の御人だったに違いないな。

そんな当時の様子を、現在立ち並ぶ旅館をみながら当時の活気を想像してみる。まぁ、現状はほぼ半数の旅館やスナックは廃屋ですけど。全国遊廓案内を続けて見ていく。

 

「藝妓の玉代は一時間一圓宛の割合で、十時間置けば十圓の勘定である。特別祝儀は十圓見當で一泊していく、其の間は絶えず傍に着きつきりで、酒の相手から、唄のはやし、話の相手から、散歩の御供に迄附いて行くと云う女房氣取りで、一種獨特の情緒がある。右はブルジョワ階級には宜しいは、プロレタリア階級には一寸望めない相談だ。(続)」

「所でプロには又プロ相應の遊び方がある。表向きでは出來ないが、事實上茲の旅館の女中は殆んど湯女の一種で、こっそり女中頭に申込めば、美しい當番の女中を廻して輿越す。當番の女中前に云つた藝妓と同じく、すつかり女房気取りで身の廻り一切の世話から、酒、談話、唄の柏手迄をも勤めると云う、誠に變つた仕組みで、同じ女中の仲間でも、客の着いた女中は、女房氣取りで他の女中に用を命ずる事が出来る。費用としては、女中頭に一圓程の附け届けの外に、番の相方には一二圓も握らすれば、後は二日居ても三日居ても、一錢も輿へる必要は無いと云ふ事だ。然し此れは極内々の話。」

なるほど、ブルジョア(金持ち)の遊び方から、プロレタリア(庶民)の遊び方も全国遊廓案内には掲載されているようだ。100年ほど前からこのようなピンク温泉地だったわけか。で、次回は現在のソ‐プなど現在の様子を見ていきましょうかね。

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(2021)