【オンボロ】滋賀大津「柴屋町遊郭」を徘徊する。【下町妓楼】(5)

全国裏探訪取材班は、滋賀県大津市の「柴屋町遊郭」を見て回っている。この柴屋町遊郭は「上柴屋遊郭」「下柴屋遊郭」とがあるんですけど、今回最終回は下柴屋遊郭エリアを見ていこうと思う。

入ると路地はこんな感じ。道幅は狭く2mくらいしかないんじゃないかな。そこは生活感がものすごく、日常通路には自転車はもちろん洗濯機も複数台置かれている。

路地に入ってすぐには地蔵があり、かつての女郎に慕われていたのだろうか。かなり年季の入っている感じだ。

「松の家」

松の家という屋号が書かれている。ここがトップバッターか。それにしてもハンガーの数よ。何人の家族で暮らしているのだろうかw

傘も無数に縦格子に吊るされてあるな。一人2本使ったとしても8人家族という計算になる。なんだこれ。

そして上を見てみると、手摺も同じ意匠で立て格子なのだが、2階の窓はベニヤ板で塞がれてしまっているのだが・・

そのベニヤの下の地の色が赤っぽい色なのがお分かりいただけるだろうか。経年で劣化しているのでくすんでしまっているのだが、この妖艶な塗装はやはり遊郭なんだろうな。ほら飛田とかでも赤やピンクのネオンあるぐらいだしね。

1930年(昭和5年)発刊の全国遊郭案内にも記述がある。全国遊郭案内には「大津市上柴‟地”遊郭」として記載されている。「(略)古い歴史を持つだけに、随って花街も古くから開けて居たものらしい明治初年に現在の個處に集娼妓制と成つたものである、(続)」

「店は陰店を張つてゐて、娼妓は藝妓と同様に送り込み花制で、廻しは取らない。遊興は時間又は仕切花制で、費用は一泊四五圓位で臺は附かない。」と記載がある。

 

こんな感じで瓢箪を前面に押し出した意匠もあったりもする。豊臣秀吉の馬印でもおなじみの瓢箪は、昔から種子が多くできることが転じて子孫の繁栄や多福を呼ぶといわれている。なるほどな。

いやぁ、それにしてもズタボロ感がすごいんですけど、決してすべて廃墟ってわけでもなくて、結構生活感も盛りだくさんな感じ。ここなんかも集団アパートというか、もうドヤに近いかもしれん。

だってもう、少し覗くとこれですよ。靴も何足あんねん(!)ってかんじですよねw

そして、赤線感半端ないグレーの物件を撮影しているといきなり躾の行き届いてないアホ犬に吠えられましたよ。こんな感じのトラップもあるんで裏探訪の際はご注意ください。ちなみに奥の物件は580万円で売りに出されていましたよ。

 

で、全国遊郭案内にはもう一つ「下柴屋遊郭」の記述もある。ここも「大津市下柴‟地”遊郭」と書かれている。「大津市下柴地遊郭 は同市下柴地にあつて上下両者勢力爭ひの觀がある。制度も費用も上下共略同様だ。」

全国遊郭案内の「下柴屋遊郭」の記載は簡潔で、これはもう2つに分けなくてもよかったんじゃないかと思うレベルなんですけど、なぜか分かれて記載されています。香川県の隣り合うココの遊郭以上に真近くなんですよね。遊びの条件なんかも同様なんで何が違ったんでしょうかね。その辺は地元民に聞いても情報はなしのつぶてでした。

この下柴屋遊郭側は大通りに大して単純に‟E”字型に配置されていた。大通りといっても郊外型の遊郭に比べ道幅が広大なわけでもなく、妓楼が並ぶところなんかはもう場末の青線並みに狭い区画だった。

さて、滋賀県大津市の「柴屋町遊郭」こと「上柴地遊郭」「下柴地遊郭」はいかがだっただろうか。全国遊郭案内にあるように上下対立するぐらいなんで確かに今でも雰囲気は全く異なっているのが確認できた。まさに一粒で二度おいしい「柴屋町遊郭」でした。現場からは以上です。

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(2021)