【能美市】集落の「東西南北」に忠実に苗字も‟東西南北”な件【下開発町】(1)

全国裏探訪取材班は、石川県能美市下開発町にやってきた。パッと見は何の変哲もない集落なんですけど、ここに住む人々の苗字がなかなか面白い事実があるとの事で立ち寄った。S様、タレコミと投げ銭をありがとうございました。早速調査結果をご報告いたしますw

「石川県能美市下開発町」

先ずは上空の写真からご覧いただこうか。こちらは今回の目的地の下開発町だ。ほら、上から見た感じは何の変哲もない平野の集落でしょ?

「しもかいはつ 下開発」

で、なにが面白いのか。この集落、実は集落の「東西南北」の方角に合わせて、そこに住む人々の苗字も「東西南北」が付けられているらしい。要は名前が東西南北に忠実と言ったわけだ。

「下開発町の苗字分布のイメージ」

農地の真ん中に固まった集落は、当然方位があり東西南北に分かれている。そのそれぞれの方位にほぼ従う形で、「南」側なら苗字が「南さん」、「北」側なら苗字も「北さん」となっているというタレコミだった。ほんまかよ?偶然だろ?って思うかも知れないのだが、これがどうやらマジらしい。

「八幡神社」

そんな摩訶不思議な地区を調査しようと、取材班は下開発町にやってきたってわけだ。さて、初めに取材班が訪れたのはこの集落西側に鎮座する八幡神社だ。

神社はその町を長年見てきているだけあって、遊郭探訪でも神社の案内板や、鳥居に刻まれる時代の年号や、屋号、人物名などが記載されていることが多い。少し情報収集してみましょうかね。

「神社改築」

その八幡神社の境内には、近年神社を改築したときに置かれたとみられる案内があった。どれどれ、町民一同の部分を見て行こう。すると、あら不思議、「北」「南」「中」と苗字が並んでいるではないか。これは確かに、苗字が「東西南北」があるというのは確からしい。そういや、東西南北の苗字のほか「中」もあるらしいな。

確認のために鳥居も見て行こう。鳥居にも「中」「南」「南」「西」とここにも東西南北の苗字が連なっている。

「昭和六十一年九月建立」

この鳥居から読み取るには、1986年に建てられた比較的新しい鳥居だ。では、いつから東西南北の苗字を名乗ることになったのだろうか。

 

「戦役従軍記念」

鳥居の前には、戦役従軍記念と書かれている石碑を発見。ここにも「中」「東」「中」「西」との苗字が書かれている。大東亜戦争(太平洋戦争)の終戦が1945年(昭和20年)なので、少なくてもここ80年程前から東西南北中の苗字が存在しているという事か。

さて、それでは取材班は本当に、東西南北の方角に従って、苗字も東西南北かを調査していきましょうかね。取材班が最初に向かったのは、下開発町集落の「南」エリアからだ。地図で言えば青文字の部分から。

さて次回、能美市「下開発町」集落の東西南北の方角に本当に「東西南北」の苗字の人が住んでいるのか調査していきますよ。

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(2021)