全国裏探訪取材班は、京都府舞鶴市にある「竜宮遊郭」の痕跡を訪ねて徘徊してきた。そんな遊郭徘徊も今回が最後なのだが、実は最後の最後この遊廓跡に建つ物件が、当時の写真にも載っていた妓楼だったことが分かった。さて、そこんとこ最後見て行きましょうかね。
前回は大通りから北側にある裏通りを見てきたんですけど、今回は大通りに再び出てきましたよ。で、一つ気になる物件がこれ。やたら横長で一見すると長屋かなんかだと思ったんですけど、妙に造りが変わってるんですよね。
近寄ってみて見るとこんな感じで1階が全て改造され、駐車場スペースのような感じに改装され二階がアパートのような感じなのか。
やはり集合住宅の様だ。1階の一番端はこのように各戸の郵便受けの様なものが据え付けられていた。妓楼がこんな感じで後年アパートに改装される例もありますからね。ここは注意深く見て行こう。
それにしても、後年の魔改造ぶりが半端ない。でもまだ妓楼だったという確証はない。この時点ではまだグレーだ。ってことで、用水路の方まで足を運んでみましょうかね。
こちらは上空からの写真。こうやって見るとかなり奥まで物件が続いているのが分かる。しかも大通り沿いの棟(手前)と川沿いの棟(奥)が3つの構造物で接続されているのが分かる。これはもしや中庭があるのか。
中庭はこんな感じだった。狭小だが今でも緑が見える。
この用水路実は地元民の話によると、産まれる前からあったらしい。ってことは赤線以前からあるという事だ。
で、こちらをご覧いただこう。これがさっきの物件を対岸の裏から見た写真だ。大通り側とも勝るとも劣らないオンボロ感だ。で、この写真を脳裏に焼き付けていただいて・・・
「龍宮新地」
この写真をご覧いただこう。この写真は竜宮新地が絶賛営業中だった時の絵葉書だ。これを見て何か感じないだろうか。そう、現在も健在のさっきの物件と同じには見えないだろうか。
「現在の竜宮遊郭の様子」
「当時の竜宮遊郭の様子」
並べて見るとこんな感じだ。建物の寸法、2階の手摺の位置、そして、木に隠れているが、川沿いの棟と大通り側の棟と接続される構造物の位置関係。そう。この今でも建つズタボロの物件は妓楼に間違いないのが確認できましたよ。しかもよく見て見ると、一番奥の現在クリーム色の物件もよくよく見て見ると、軒や屋根の関係が類似していて当時と同じなんじゃね!?w
その現在クリーム色の物件も裏に回り込むとこんな感じ、当時物の物件と接続されているように見える。
話をこの妓楼に戻そう。この物件は現在「第五乙女荘」という名前らしい。まさか娼妓が大勢居た物件が乙女ってこれはいかに。
全国遊郭案内には「貸座敷には伊呂波樓、千秋樓、遊海樓、あら屋、田中樓、三圍家、第三いろは樓、醉月樓」、金生樓、一京樓、柴樂樓、雲濱樓、第二遊海樓、松葉樓、朝日樓、昭和樓、千秋樓支店、藤村樓支店、いろは樓支店、柴月樓、金峰樓、愛喜樓、松岡樓、春日樓、龍のや、北越樓、福竹樓、菊水樓、浪花樓等である。」乙女樓という名前は無いので、やはりこれは後年のアパートの名称なのか。
「第五乙女荘」の中を少し見てみよう。現在はやはりアパートに改装されているようで住人の靴が並んでいる。もしかして元娼妓も今でも住んでいたりして?
確かに作りは、大分のここみたいな雰囲気に違いない。明らかにこの2階への階段とか同じ作りは似通ってるし。
現在、大通り沿いには玄関が二か所ありもう一方はこんな感じ。まぁいずれにしても生活は楽じゃなさそうだな。住人物件共にひっそりと余生を過ごしているのか。
「京都府舞鶴警察署 愛宕交番」
で、当時は妓楼が多く活況だったのかが分かる物件もある。用水路を渡ったところの竜宮公園の前にはお決まりの交番もあったるする。遊郭っぽいな。
で、泥沼の戦争真っただ中の1940年(昭和15年)この「竜宮遊郭」は比較的沿岸部にあった為、海軍基地拡張の恐れがあるという理由で同じ舞鶴の「丸山地区」に移転することになる。ここにきて、いやいや舞鶴は「朝代」「加津良」「竜宮」の3つの遊廓でしょ?と言われるかもしれんが。実はこの「丸山」も居れれば4遊廓という事になるな。いやいやさすが当時の兵隊パワーだな。ソッチの勢いも旺盛だったんですね。これは全部制覇せんといかんな。それではまた。
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(2020)
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