【真四角の】魚津埋没林の隣「旭新地」と呼ばれた魚津遊郭を訪ねる。【遊里】(2)

 

全国裏探訪取材班は、今回は富山県魚津市に来ている。魚津と言えばかつては新川県の県庁所在地でなかなか栄えた町なんで、もちろん「魚津遊郭」という遊里も存在した。別名「旭新地」という。ってことで今回も見て行きましょうかね。

「旭神社」

さて、旭新地と言われる元になったのはこの神社なんですが、早速境内に入っていきましょうかね。

境内に入るとこんな感じで、手水舎があるんですけど、こういった場合神社の周りを囲む石柵とか、鳥居の袂とかに往時の屋号なんかが残されてる場合があったりするんでちょっと見て行きましょうかね。

「昭和八年五月」

鳥居には1933年(昭和8年)の文字があるな。これはその時から建てられているのか。遊郭の真っ盛りのころだな。ってことは?

石柵をよ~く見て行くと「千田製材所」「吉森金物店」・・あ、ありましたよ。

「●芸妓置屋組合」

吉森金物店の隣の角、一番格が高いと思われる石柵にありました。「●芸妓置屋組合」との文字が(!)。結構睨めっこしたんですけど、●の部分にどの文字が入るかは解りませんでした。誰かタレコミよろしく。

で、この辺まで痕跡が見つかれば正直裏探訪取材班としても十分な収穫なんで少し小躍りしたくもなるんですけど、この旭神社は実はちゃんと拝殿にこの神社の云われが書かれていましたよ。全文を掲載しよう。

「旭豊社の由来」

「[御祭神]倉稲魂神(うかのみたまのかみ)[稲荷社の神] 別名 豊受大神(とようけのおおかみ) 年代は不詳ですが、魚津市馬場(現在の鴨川町)の地に 遊郭があり、賑わっていました。年を経て大正三年 頃、当時の役所の方針でその一画をこの場所に移 転し、同時に商売繁盛のご利益のある稲荷を 祀る社をも移築しました。 (続)」

 

「その後、昭和八年に建物の老朽化によって社殿を 新築、社名を「旭豊社」として現在に至っています。[御神徳]五穀豊穣、商売繁盛、火災や災難 除け、子孫繁栄、芸能上達などが挙げられます。 [祭礼]「鎮火祭」一月二十六日 「春祭」五月五日 「秋祭」十月五日」

なるほど、鳥居に書かれていた昭和8年と言うのは老朽化によって建て替えられたものだったらしいな。しかし、御神徳に子孫繁栄が書かれているのは土地柄なんですかね。

さぁ、神社が見終わったところで、この界隈を歩いていきましょうかね。全然関係ないけど、マンホールには市章と市の花カノコユリがデザインされている。

神社を後にすると、どこにでもありそうな民家が立ち並んで居る。でも、神社の情報が無ければ感度が低い読者なら、そこが遊郭だとはわかない感じ。

 

いやね。でも見てくださいよ。東側の縄張りの端の道路。遊廓の入り口によくあるいきなり通りが広くなるパターン。これが正にそこが遊郭だった証拠なんですよね。さて次回から「旭新地」こと「魚津遊郭」の物件を見て廻りましょうか。

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(2020)