【沖縄県民】沖縄戦の司令部「海軍司令部壕」【斯ク戦ヘリ】(2)

全国裏探訪取材班は、大東亜戦争(太平洋戦争)唯一の地上戦だったとされる沖縄戦の司令部「海軍司令部壕」に来ている。さてこの壕に入る前にこの沖縄戦はどのような戦いだったのかを資料館で見て行きましょうかね。

「旧海軍司令部壕ビジターセンター・資料館」

この資料館には沖縄戦の詳しい内容が写真や当時の物品と共に展示されている施設だ。もし興味があれば豪に入るのは有料ですが、この資料館は無料だったりするので歴史の勉強にはもってこいだ。

「司令官 大田實」

沖縄戦は主に牛島満率いる陸軍約50,000人と、大田実率いる海軍約3,000人が米軍を迎えった。米軍は陸軍約190,000人、海兵隊約88,000人の計278,000人だった。

資料館には沖縄戦の「日米被害比較」「日米軍事比較」があった、戦闘の参加兵員などは大なり小なり資料によってばらつきがあるが、基本的に日本兵の3倍以上の兵力で迫っており上陸作戦の条件は満たされている。

兵員では1:5、飛行機では1:8、艦船では1:20と日米の戦力差が気合とか根性とか技量ではカバー出来ないほど差が開いている。まるでチートだなこりゃ。しかも砲弾の投射量も桁外れで、なんと砲弾271万発が使用された。これは1人に対して約5発が使われた計算だ。無理ゲーだろ。

そんな感じで、無理ゲーと解っていたのか。それとも戦力差が分かっていながら、物量は限りがあるが大和魂は無限大!と盲信して戦ったんでしょうかね。

まぁそんな精神論は今の二ホンでも蔓延っているんですけどね。で、1945年(昭和20年)4月1日の朝米軍が本島の中西部に上陸をして来た。

「米軍上陸作戦 経過図」

沖縄本島の中部に上陸してきた米軍は北と南にそれぞれ進軍していく。当初日本軍は陸軍を中心とした持久戦術だった、しかし陸軍の参謀の中に徐々に後退し圧迫される陣地に憂慮し戦況を打開すべく総攻撃を仕掛ける主張が現れ始める。

マリアナ諸島の戦いや硫黄島の戦いの教訓から、水際作戦や総攻撃による決戦作戦ではなく、持久戦による沖縄戦の戦略だったのだが、5月3日に日本軍は反転攻勢の総攻撃をすることになる。

日本軍の総攻撃が始まると、温存していた砲兵部隊により数先発を米軍に浴びせ、戦線が一時的に回復した。それの呼応した特攻でも戦果を挙げ、護衛空母サンガモン、軽巡洋艦バーミングハムを大破。駆逐艦モリソン、ルース、揚陸艦LSM(R)-190、LSM(R)-194を撃沈した。

翌5月3日にも日本軍の砲撃は続いた。しかしながら、その日本軍の総攻撃に対し米軍も火力を総結集し反撃。日本軍は得意な白兵戦に持ち込むことが出来ず兵力を失ってしまう。5月4日には総攻撃の失敗が明白になり、翌5日に全軍最後の玉砕前提の総攻撃をするかの決断を迫られるが、陸軍の牛島司令官は総攻撃中止を発令。再び持久戦の戦略をとることになる。

再び持久戦略を取ったことにより、全部隊の壊滅は免れたが次第に戦線を縮小5月21日には首里まで戦線が縮小していくことになる。翌5月22日には陸軍が沖縄本島南端部への撤退を決めた。

いよいよ本島南部まで追い込まれてきた日本陸海軍。この後、海軍部隊ははついにこの「海軍司令部壕」に追い込まれて行くことになる。次回は海軍司令部壕内へと入っていきましょうかね。

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(2020)