【幻の】名古屋「港陽園遊郭」跡の「かもめ」を見る!【遊郭?】(1)

全国裏探訪取材班は、名古屋市内へとやってきましたよ。まあ、我々そんな大した仕事もしてないんでまた暇になったので、先日投げ銭の上タレコミまで頂いたのでそのスポットへと行きたいと思う。例によって今回は遊郭ネタなんでざっくり名古屋の事情から話して行こう。

「築地口駅」

取材班は名古屋地下鉄の築地口駅に到着した。名古屋には元々数カ所の遊郭がありその代表格が言わずとしれた「名楽園」こと中村遊郭だ。

「港区 港楽三丁目1」

他には「城東園」「八幡園」「港陽園」とあり、今回訪れたのが港陽園というわけだ。結構多いな。まさに“尾張名古屋は城で持つ”。ならぬ、尾張名古屋は遊郭で持つ。だな。

「国道23号線」

その港陽園一帯は今だからこそ国道23号線が設置されたり、都会の一部のようだが戦後は港湾労働者や進駐軍などが跋扈していたらしい。地元民によるとそんないい町ではなかった。どちらかと言えば一般人が近寄らない地区だったのだと言う。

「カードでお金」「原発ゼロに」

こんな看板が彼方此方ある地区なんで、もうお察しください。としか言えませんよね。

「港陽3-5」

で、その地元民曰く、この港陽園の“港陽”とは日(太陽)の当たる(名古屋)港にしたい。との思いが込められたネーミングなのだという。

てか、こう言うところの標語看板とかもそうですけどそもそも、既に日が当たった明るい地区ならこのようなネーミングをする必要がなかったわけで、、

こちらがメインロードだろうか。その地元民は更にお話いただけた。戦中この一帯は、名古屋中心部へと侵入する敵航空機に対する日本軍の対空砲陣地があったらしく、終戦間際は米軍機にコテンパンにやられたと言う。

さらにその地元民は「対空砲なんか置くからやられる。置かなければやられないのに!どうせ(対空砲は)届きもしないのに。パンパン花火みたいになってるだけや!」と当時を回想していた。たしかにそれは言えるかもしれん。

少し話が横に逸れてしまった。その後戦争は終わり復興の道を歩むことになる。名古屋の行政による復興計画の中に「盛り場復興5カ年計画」と言う計画をもとに復興することになるが、その中にこの名古屋港地区も含まれていた。

「港警察署 築地交番」

メイン通りには遊郭には標準装備といっても過言ではない交番もあった。戦後進駐軍が上陸してくると、名古屋港の近辺には管理されていない“パンパン屋”が何軒かできたらしく当局は相当手を焼いていたと言う。対空砲のパンパンの次はアッチのパンパンかw

この何か商いをしていた様な物件は、かつて和菓子関係のお店だったのだと言う。まあ約30年前までは営業しており、老夫婦が焼きそばやお好み焼き売っていた様だ。遊び人の胃袋を満たしていたのだろうか。しらんけど。

それをまとめたのが、この港陽園という事なのだが、実際先程の地元民に話を聞いても「当時あちこちに遊郭みたいなもんがあってよーわからんけど、ここが港陽園なのは確か。」という返事だった。まあ、戦後ドサクサ期なんで仕方ないな。

それにしても、この通りには当時物と思われる物件が何個かあるのが、鋭い嗅覚を持った読者ならお分かりいただけると思う。交差点の角地に建つこれなんかもそうじゃないですかね?

ブリキとか窓の雨戸の質感なんて堪りませんよね。これですわ。取材班が見たいのは。

さて次回はいよいよ「港陽園遊郭」の中心部に建っている「かもめ」をみに行きたいと思う。

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(2020)