【いまでも】「香港の戦い」で「田中良三郎大佐」が見た風景とは。【そのまま】(3)

 

全国裏探訪取材班は、大東亜戦争で白人の雄イギリス軍を叩き潰した「香港の戦い」の痕跡を探しに香港を訪ねている。今回は過去の写真をもとにその地点が現在どうなっているのかを見て行こうと思う。

「香港上海銀行香港環太平洋本部ビル」

先ずはこちらの建物を見ていただきたい。香港に行ったことある方はこの銀行を一度くらいは見たことが無いだろうか。

「HSBC 滙豐

銀行のロゴはこんな感じだ。元々植民地時代に香港で創業した銀行で、現在はHSBCグループに編入され、銀行の時価総額では、米シティ、バンク・オブ・アメリカに次ぎ世界第3位だ。

この香港上海銀行は日本が占領している時期は、この写真のように日章旗が掲げられ占領地総督部が置かれていた。この総督府は大本営直隷下で軍政を敷いた。軍政下では高級官僚が日本から送られ、総督府の重要幹部はほぼ日本人が占めた。

総督府のあった所から南へ徒歩15分くらい歩き進めていくと、なにやら大郷邸のような敷地がある。

そこには歩道までせり出した武者返しと言うか、侵入防止の刃まで突き出している・・・ここはどういった施設なんでしょうか。

「香港禮賓府」

この物件は1855年(安政元年)のイギリス植民地時代にルネサンス様式の建物として建設された。1855年から1997年(平成9年)香港総督が滞在していた。

ルネサンス様式だったが、日本の占領中に日本と新古典主義のハイブリッド構造に改造された。この瓦造りなんかも日本風だな。今でも使っていただきありがとうございますw

 

「Hennessy Road 軒尼詩道」

「Hennessy Road 軒尼詩道を通り香港に入城する日本軍」

第23軍団司令官の酒井隆中将を歓迎するために、第38師団の兵士たちは列を作る。ちなみに酒井隆中将司令官時の参謀長はあの栗林忠道少将だった。

で、Admiralty(金鐘)地区からCauseway Bay (銅鑼灣)へ至るHennessy Road (軒尼詩道)だがここは嘗て香港に入城する日本軍が通った道として今でも残っている。なるほど。この写真はここなのか。ガッテンw

イギリス軍は香港攻略戦で捕虜になったのは全体で11,000名。イギリス人が5,000名・インド人が4,000名・カナダ人が2,000名だった。この捕虜は12月から翌1942年(昭和17年)1月にかけて降伏の上捕虜になったイギリス人を当初は香港の捕虜収容所へと送られたが、その後は内地や外地(台湾)などの捕虜収容所へと送られ各地の産業に従事した。

 

当時の世界の回顧録を見ていると、当時のイギリス軍のほぼ全ては日本は東洋の小国で“イエロー”などとかなり見下していた様だ。まぁ当時の世界では自分たち大英帝国は無敵だ!と信じ込んでいたので無理も無いが・・日本人を甘く見たツケが回ってきたな。

そうは言っても、未だに彼らは日本の事を見下しているかもしれん。まぁ正直取材班も今の二ホンはグダグダだと思うんですけど、日本人はある種全体主義的なんでやるときはやりますよ。舐めて掛かったら意外と怖い民族なのは世界の諸国はよく理解しておいた方がいい。

英国人よ、よくこのビクトリアピークからかつての先人の過ちを反省すればよい。そう。イエローなんかと馬鹿にしながらたったの10数日でイエローに完敗した事実をとくと悔やめ。よく考えるとこの景色は東洋人から分捕ったはいい物の同じ東洋人にやられた景色だ。イギリス人からすれば考えようによっては決して綺麗な景色ではないはずだ。

次回も、「香港の戦い」の歴史探訪をしていきましょうかね。

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(2020)