【いまでも】「香港の戦い」で「田中良三郎大佐」が見た風景とは。【そのまま】(2)

全国裏探訪取材班は、「香港」に来ている。香港と言えば約80年前「香港の戦いで」イギリス軍を駆逐して日本の統治下だったんですけど、その香港の戦いはどういう経緯をたどったのか。現在の街並みを見ながら見て行こう。

1941年(昭和16年)12月8日啓徳飛行所を空襲した日本軍は次に九龍半島の攻略を実行しようとしていた。酒井軍司令官は九龍への攻撃開始まで1週間程度を予定していた矢先歩兵第228連隊土井連隊長から「敵と交戦し占領セリ」と言う電報が届いた。

9日夜、土井連隊長独断専行にて夜襲を決行。イギリス軍陣地に突入し数時間の戦闘の末イギリス軍陣地を奪取した。酒井軍司令官は独断専行に激怒したが、1週間の準備期間を待つことなく攻撃を追認し決断した。その後、イギリス軍は13日に九龍半島から香港島への撤退を発令した。

九龍半島を占領した日本軍は、残る香港島のイギリス軍を駆逐すべく作戦行動を開始する。日本軍は九龍半島を占領するとイギリス軍が降伏すると考えていたようだが、イギリス軍は香港島と残された軍艦から九龍半島の日本軍に対し砲撃を行った。

抵抗され意表を突かれた日本軍はすぐさま反撃を開始。香港島は平野部が少なく貯水できる真水が限られていたため、日本軍は九龍半島からの給水を断水。給水を立ち日本軍は、すぐに降伏をすると踏んでいたので、降伏勧告として多田督知中佐を派遣したが、イギリス側は勧告を拒否。

4日には、勧告を受け入れないイギリス軍に対し香港島に砲撃を開始した。3日間に及び約2,000発の砲弾を撃ち込み再度降伏勧告を行ったが、2度目も拒絶した。

香港島の北側を砲撃した日本軍だったが、香港島の南側のイギリス軍の要塞は依然健在だったことや、イギリス軍は中国軍の6万人の陸軍が大陸より援軍に駆け付け日本軍の背後を攻撃する。と言う誤った情報を信じ込んでいたことから降伏が遅くなったようだ。

18日日本軍は香港島への上陸を開始。20時に援護射撃を開始し奇襲上陸を始める。日本軍は激しい抵抗に遭いながらも香港島北部を制圧。翌々日20日は香港島の南北を分断するニコルソン山の要塞を攻撃。多大な死傷者を出しながらこれも占領する。

「浅水湾」(日本名緑ヶ浜)

ニコルソン山には香港島の貯水池があり、そこからの水の供給も断水に成功した。その後も、激戦が続いたようで、一番の激戦地帯は赤柱半島の要塞地帯だった。高射砲や海岸砲を多数備え鉄条網で堅牢な陣地だった。なかなか降伏しないイギリス軍で長期戦を覚悟した日本軍だったが、25日17時50分イギリス軍全権ヤング総督とマルトビイ少将白旗を掲げた。

 

この瞬間、対イギリスにおいて初めて有色人種に白旗を掲げた事態ではなかろうか。大航海時代から数世紀にわたり日に沈まない国と言われた大英帝国を有色人種が降伏に陥れた事実は世界中に衝撃を与えた。

イギリスの歴史学者アーノルド・J・トインビーは一連の大東亜戦争を回想してこう述べる「―(略)―日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去200年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。」とも語っている。

かつて世界中で帝国主義を謳歌し、世界中に植民地を持っていた西洋の超大国イギリス軍を極東の小国日本が降伏に追いやった。ちなみにこの12月25日は奇しくも西洋人大好きなクリスマス。この落日のクリスマスを「ブラッククリスマス」と呼んでいるらしい。

次にのページではその歴史の痕跡をまだまだ見て行きましょうか。

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(2020)