【これは】「大山口列車空襲」事件跡地を調査する。【ひどい】(3)

 

全国裏探訪取材班は、大東亜戦争(太平洋戦争)末期にあった「大山口列車空襲」の現場に来ている。今回この取材中当時を知る現地民にお話を聞くことが出来たので、その生の話もここでは語っていきたいと思う。

大山口列車空襲の現場と当時を知る現地民。取材班にその時の様子を詳しく語っていただけた。

現地民の話によると、当時の当該列車第809列車は、11両編成だったらしいのだが何故か一番先頭の本務機関車や回送機関車の車列の被害は多くは無く、客車編成の先負に被害が集中したのだという。

現地民は話す「数分の内にドドドドド~っと機銃弾を撃たれて、一瞬で地獄絵図になった・・しかもあいつら(米兵)ときたら・・・」

「この客車は、一般の客車とちごうて、赤十字の印があったんだけどねぇ。飛行機から見てもわかるのにやられた。ほんと酷いもんよ・・」

と回想していた。そう、この客車の内前部の2両は増結された「病客車」だったという。

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「病客車」(イメージ)

「ほんと子供心に悔しくて悔しくて、鬼畜米英めが!って思ってたけど、まぁしょうがないやぇ」と煙草をくわえながら取材班に当時の様子を語っていただいた。

取材班は、当時を知る現地民の話を聞いていると特急スーパーおきが猛スピードで通過していく。おそらく乗っている乗客は一人としてこの大山口列車空襲事件は知らないだろう。米軍のWGIFの効果か。

「病客車」(イメージ)

戦争中とはいえ、戦闘員が非戦闘員を殺傷してはならないというハーグ陸戦条約を破りまくってるし、しかも、当時赤十字マークを掲げながら非武装で運行しており、実際に乗っていたのは呉海軍病院の三朝分院を転退院する人々だった。

 

軍関係者と衛生兵、日赤看護婦が乗務していたとはいえ赤十字マークを執拗に攻撃するとはマジで鬼畜米英だな。で、日本だけが裁判にさばかれたりとかもう意味わからん。

乗客は他に一般乗客や勤労学徒、国民義勇隊、軍需工場徴用工などが満員だった。更に第809列車が退避した先が、切り割区間だった為、逃げる方向が2方向に限られたのも被害拡大につながってしまう。

切り割区間の目印になるのが、このコンクリートの構造物だ。線路を挟み南北にある構造物なのだが、実はこれ当時からあるものだと地元民は話してくれた。

今は白く補修されてしまっているようだが、このコンクリートの根元の部分には未だに当時の弾痕が残っている。こちらは南側。

 

こちらは北側のコンクリート。地元民曰く当時は10㎝ほど窪んでいたのだという。固いコンクリートブロックが10㎝も砕け散るぐらいなんで、人間に当たれば首に当たれば一瞬で吹っ飛ぶだろうな。

最終的に、乗客800人の内、死者44名、負傷者30名以上というこの米子地区では最大の空襲被害になってしまった。もちろん周囲の民家も数軒全焼してしまったのは言うまでもない。

その後第809列車は、死傷者を除いて乗客を付近の森陰待避。、本務機関車の被害で全客車を牽引出来ない為、後5両を現場に留置。前6両で大山口駅を約2時間遅れで発車し、約3時間半の遅れで米子駅に到着したという。

「大山口列車空襲 慰霊の碑」

 

今は駅前に慰霊碑が建っており「平和」などと書かれたものや、折り鶴が寄せられていた。折り鶴折るのもいいけど、平和は願っただけでは達成できない。犠牲者を弔うためにもっと勉強しましょう。

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(2020)