【二ホン人の闇】三十人殺しの「津山事件」の「貝尾集落」を訪ねる【は今も続く】(3)

全国裏探訪取材班は、かつて「津山事件」があった「貝尾集落」を訪問している。本当に民家が10軒ほどしかないような小さな集落なんですけど、ここで30人が一体どうのように殺されて行ったのだろうか。調査資料を基に紹介していきたい。

一見何の変哲もない日本のド田舎と言った感じがするのだが、ここで一晩のうちに30人も殺害されたという事実を知ると急に鬱屈となってしまう。

教養のある読者ならご存知かもしれないが、西村望の小説「丑三つの村」や横溝正史の小説「八つ墓村」はこの事件がモデルになったという。祟りじゃ〜っ!ってやつです。

そんな、集落の人々にいじめられ、国家にも用なしと判定されていた、半ば鬱状態だった都井睦雄だったのだが、次第にそのフラストレーションから復讐を企てるようになってきた。

まず手始めに、都井睦雄は狩猟免許を取得し散弾銃を購入。それは二連発の物だったので飽き足らず5連発の散弾銃ブローニング・オート5を購入。日々山にこもり射撃の練習を行っていたのだという。

そんな都井睦雄の姿は近隣の住人からは異様に映ったようだが、逆に都井睦雄のこの行動が周囲を近づけない要素になり、都井睦雄自身も一層孤立していくことになる。

そして、ある日都井睦雄は祖母に胃腸薬を飲ませようと、祖母の味噌汁へ薬を入れているのが祖母に見つかり祖母が「毒殺される!」と集落内で大騒ぎし警察が介入。その際の家宅捜索で都井睦雄が隠し持っていた散弾銃や日本刀など多数の武器が押収された。

警察に武器などが押収された後も、憎悪が収まることは無く、家長だった都井睦雄は家土地を担保に借金をしつつ再び知り合いなどを通じて散弾銃、日本刀などを買い揃えて行った。もちろん復讐のため。

そんな時にもタイミング悪く、都井睦雄が依然親密にしていた寺井ゆり子が農村の手伝いに里帰りしてくる。都井睦雄からすれば復讐の二度とないチャンスだった。

 

「津山警察署 加茂駐在所」

頭脳は明晰だった都井睦雄は犯行準備の為、麓の加茂駐在所まで自らの自転車で走り、逃げる住人がどれだけの時間が必要か。なども予め計算していたようだ。

確かに逃げる住人の往路、警官が駆け付ける復路の時間が分かれば、殺人の経路などの計画が立てやすいもんな。しかも、当時この駐在所の警官は出征中だったという。

そしてついに、1938年(昭和13年)5月20日の午後5時頃、都井睦雄は送電線を切断。この時他に迷惑が掛からぬようにか、原因を調査されないようにか、貝尾集落のみの配電を停電させた。

しかし村人たちは当時の電力供給は不安定だったため、停電を特に不審に思わず、これについて電気の管理会社への通報や、原因の特定などを試みることはなかった。さて、いよいよ日が沈み貝尾集落は暗くなっていく。

決行迄あと7時間・・・次回は集落内の様子を見ながら当時の様子をお話ししよう。

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(2020)