【二ホン人の闇】三十人殺しの「津山事件」の「貝尾集落」を訪ねる【は今も続く】(2)

 

全国裏探訪取材班は、「津山三十人殺し」で有名な岡山県津山市に来ている。さてこの「津山事件」の集落へといよいよ入っていこう。加茂地区から車で10分程度緩やかな勾配を上げっていく。

「貝尾」

あったあった。ここが貝尾集落か。既に陰鬱な空気が流れている。雑木林には草木が雑然と生い茂りいかにも負の雰囲気だ。

来訪した時期が夏の終わりだったからか。彼岸花が彼方此方に咲いている。この死界の花が咲いていることによってさらにネガティブな気分になるのは言うまでもないだろう。

集落に入ると「地神」と書かれた石碑があったり。ここで死んだ人々を神格化していたりするんですかね。で、その殺した加害者の都井睦雄の青年時代とはどんな人物だったのだろうか。

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都井睦雄が20歳だった1937年(昭和12年)当時は日中戦争が始まった年だったり、その6年前には満洲事変もあったり文字通り日本には軍靴の足音が響きまくっていた時代だったのだがこんな農村にもその足音が響いていたようだ。

そんな中、都井睦雄は徴兵検査を受検した。当時この徴兵検査は男子の中ではほぼポピュラーな試験で検査には甲種、乙種、丙種、丁種、戊種があり都井睦雄は丙種だった。この丙種と言うには「身体上極めて欠陥の多い者 現役には不適だが国民兵役には適する」と言うもので事実上の不合格だったそうだ。

不合格の理由は結核を患っていると思しき結果だった。当時は結核が遺伝する病気だと迷信や思い込みが多く存在した。で、都井睦雄自身も肋膜炎などの前歴があることからこのような結果になったのだという。

当然、当時結核は不治の病と呼ばれており一番恐れられていた感染症だったので、その噂は瞬く間に広まることになる。噂は広がり都井睦雄が幼いころからの恋人(寺井ゆり子)にも関係を嫌忌されて行ったという。

 

当然寺井ゆり子との恋仲も、彼女の父親などから猛反対に遭い完全に頓挫。彼女の恋心も父親や村社会に恭順してしまい解消してしまったという。都井睦雄はそれから心身を病むようになった。

更には、貝尾集落と言う狭い村社会の中で都井睦雄は格好の攻撃の的になり、都井睦雄と目を合わすな!都井家の前を通るときは息をせず通れ!など、科学的根拠のない風説の流布や、村人同士の陰湿な陰口やいじめなどの被害があったという。いわゆる村八分ってやつか。

更に、当時日本の一部には夜な夜な男が女の自宅へと侵入し女と関係を持つ“夜這い”と言う習慣があったようだ。当時の日本は極端な男尊女卑がまかり通っており、現代のような教育も無ければ情報も無いので津山のような農村部では未だに行われていたようだ。

彼は寺井ゆり子以外にも、村の複数の女と肉体関係にあったという証言もあり、真相は定かではない。しかし、徴兵検査後は完全に拒絶されていたのは確かな様だ。

 

テレビは無く、もちろんインターネットもスマホも無い時代この小さな村で当時都井睦雄は何を思ったのだろうか。

その後、都井睦雄は抑圧され変貌していくことになる・・・・

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(2020)