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全国裏探訪取材班は、三重県の裏探訪エクストラ取材員N氏と共に男の桃源郷「渡鹿野島」を裏探訪すべく島内をあちこち見て廻っている。渡船を降りてのっけからドデカイホテルが何軒もある。内一つ目がこちら。
「大阪屋」
「ワイズ Y’s」
このデカい施設、今はもぬけの殻なのだが、ちょうど1階部分がガラス張りのバーのようなものだったようだ。
中を覗いてみるとこのような感じ。今でもバーカウンターの中にホステスの亡霊が見えなくもない。そうそう。亡霊と言えば、N氏によるとこの渡鹿野島は三重の若者の間では時々心霊スポットとして話題に上がるとか上がらないとか。
大阪屋の現在のエントランスはこのような有様。ラウンジにはごみが溢れかえり、天井は剥がれ落ち結構酷いな。

タバコの自販機もありますね。まだ注意書きがガッツリ書かれていない時代のようだ。しかもすべての商品が270円(!)。これは2003年(平成15年)の事だ。2003年と言えばまだまだホステスとそれを買う男どもが集まっていた時期か。
布団だってこの通り未だにそのまま。N氏曰くこの大阪屋と言うホテルも部屋が30部屋ほどあったらしくホステスが入り浸っていたという。当然その部屋では秘め事が繰り返されていたわけだが。写真では分からないが、布団には謎のシミがいまだに残っており当時の証拠物件かw
離島という事もあり、ガスも都市ガスではなくプロパンか。
上から見るとこんな感じ。N氏が言う様に、やはり30部屋はありそうだな。
上空から客室と思しき室内を見る。鉄筋コンクリート造だからか。閉業から10年以上経過したいるだろうが劣化は最低限か。
さすがに西日が入る西側の部分の障子は劣化しまくっているのが確認できよう。室内は暗くて見えないのだが、心霊スポットだからか、誰かいるようにも見えなくはない。
この大阪屋もほぼ管理されていないのだろうが、安直な廃墟巡りによる進入はさすがにご法度だ。このサイトで楽しむだけにしてくださいよ。
大阪屋屋上にある空調装置は傾いて完全ジャンクになってんな。現在はハートの島とか言って再起を図っているようだが、これじゃぁ大阪屋の再起は望めないかもな。
さて、大阪屋の横の路地を入っていきましょうかね。
この民家ドギツイ緑色だな。明らかにソレっぽい地区にありがちな物件だな。関係はなさそうだが。
とはいえその路地を奥に行ったところにも、緑に加飾された民家がある。偶然なのか。そんな事を考えているとN氏がおもむろに口を開いた。
「俺が売●の現役時代行ったときは、同僚がスナック(置屋)から民家に消えて行った。たぶん東南アジア系のホステスも多かったから、ホテルの部屋やアパート足りずに、現地民の民家の一室を借りてヤッてたのかもしれん。」と、回想ていた。
なるほど。実際に高木瑞穂著の本にもそう書かれていた。やはり間違いなさそうだ。島民上げて●春島にしていたわけか。次回も続きを見て行こう。
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(2019)