【心霊廃墟】四国愛媛の裏遊園地「赤松遊園地」ってなんだ!?【入場無料】(1)

全国裏探訪取材班は、それなりに有名どころな裏スポットから、1日の訪問者数が0人の超マイナー裏スポットまで様々なDEEPスポットを紹介しているのだが、今回も現状は訪問者数0だと思われるスポットだ。そんなスポットだと、ほぼ廃墟と言う事になるが、実際の所進入が禁止されているわけでも無い“営業中”の廃墟スポットだ。

「JR宇和島駅」

実は、四国って東京から一番アクセスに時間がかかる都市があったりするんですよね。地理的に北海道とか九州沖縄のイメージがあるのだが飛行機の便数が少ないうえ、飛行場からのアクセスがすこぶる悪かったり・・

「宇和島城」

その四国の中でも、四万十市とかこの宇和島市って四国の西南部に存在するので、東京から一番遠い都市と呼ばれることがある。そんな愛媛県宇和島市に取材班はやってきた。はぁ、遠い・・

その宇和島の中心部から、約15分ほど豊後水道に沿いながら車を進める。

「赤松海岸自然海浜保全地区」

場所を現在の住所で言えば、愛媛県宇和島市大浦2342というとこだ。カーナビの住所で入れれば問題ないはずだ。

そんな東京から最も遠い陸の孤島に、愛媛1、いや四国1とも言われる裏遊園地がある。その名も「赤松遊園地」。正式名称は「覗岩遊園地」というらしい。ここがその遊園地・・

で、ここが遊園地の駐車場。遊園地と言えば某ネズミーランドなどをイメージされるかもしれないが、そんな華やかさとは一切無縁。寒い風だけが吹いている。

この赤松遊園地にいきさつを軽くお話しさせていただくと、実はこの遊園地、古い宇和島市民にとってもとても馴染みのある場所だという。

 

ある老人曰く、江ノ島か鎌倉みたいにたくさん人が溢れかえっていたという。そうは見えないが・・

元々この赤松遊園地のある場所は、1910年(明治43年)宇和島運輸が中心地宇和島と吉田集落を繋ぎぐ航路上にある場所だった。昭和に入ると娯楽需要からその立地を利用し、宇和島運輸が海水浴向けにこの地を開発した。

戦争が激化するまでは、赤松遊園地航路として独立するほどにもなっていたという。なるほど、確かに予讃線の伊予吉田駅は1941年(昭和16年)に開業した為それまでは航路だったわけか。

そして、戦中戦後を経て高度経済成長期には、宇和島吉田間の航路が廃止されることになるが、この頃になると宇和島市街地からの陸路も整備されることになる。航路でリゾート気分は無くなったが乗り合いバスなんかで気軽に行けるスポットになったわけだ。

 

高度経済成長期は、夏なんかは朝から晩まで大賑わいだったようだが、今は見る影もなく、だれも居ない。無残な廃墟だけがその姿をさらしているわけだ。

これを裏遊園地と言わずして、なんと表現するのだろうか。そんな遊園地を次回もまだまだ見て行きましょうね。さて次回は、何のアトラクションに乗りましょうか!?楽しみだ。

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(2019)

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