【宮崎県初の】。限界集落だった西都市「寒川集落」を探訪する。【集団離村】≪動画あり≫(3)

全国裏探訪取材班は、宮崎県初の集団離村が行われた「寒川集落」を探訪している。前回取材班は集落の入口まで入って来た。さてどのような集落があるのか、まずは初めに動画から見て行きたいと思う。

「寒川集落」

いかがだろうか、西都市から西に20㎞ほど行った、何もない山林の斜面に集落はある。取材班は空撮で撮影をしているのだが、もはや上空から寒川集落の痕跡は確認しにくい状態となっている。現在は鬱蒼とした木々で当時の集落を飲み込みつつあるのがお分かりいただけるだろうか。こんななにもなさそうな山の真ん中に集落があったんですよ。

取材班は早々に上空からの探索を切り上げ、集落を地上から探索することにした。

集落に入っていくとさっそく、朽ち果てた家屋か小屋があるな。確実に誰かだ住んでいた形跡をさっそく発見。

集落に今でも残る電信柱、こういった設備も往時の生活を思い出させる。

この寒川集落の歴史那始まりは遠く安土桃山時代までさかのぼる。西暦で言うと1590年代くらいか。それ以降は主に林業を稼ぎ頭としてそれ以後400年にわたって栄えてきたという。

現在でも数軒の民家と、学校跡がそのまま完全な放置プレイとして残されている。

人がい無くなった廃村。かつては人間様が支配していたその場所も、現在は御覧のように自然が巻き返しを図っている。

 

中には当時の瓶や缶などが散乱しているのがお分かりいただけるか。

これは当時のアルミ缶だろうか。リングプルが昔の規格だ。ちょうど30代後半以上なら記憶があるとおもうが、今の物は開封しても栓が外れることは無いが、当時では線が外れましたよね。今でも昨日ポイ捨てされたかのごとくそのまま残っている。

そして特にしぶとく残っているのが、このようなプラスティック樹脂系の石油製品。最近ではストローとかが環境問題として取りざたされているのは記憶に新しい。

実際これらも、いつまでも分解されることがないので、今になってもそのまま残っているんですよね。

取材班はまだ、集落に入って全体の1割も見ていない状況。次回はもっと物件の詳細を見て行きましょうかね。

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(2019)