全国裏探訪取材班は、九州のベニスに来ている。正式には延岡町岡富遊郭跡を扱った記事だが、九州のペ○スとかいう卑猥なギャグではないのでご注意いただきたいwまぁしょーもないネタは放っておいて遊郭跡の続きを見ていきましょうかね。
鉄筋コンクリート造の建物が多いことは先刻承知だが、やたらとスナックを冠する物件が多いのもこの町の特徴か。
「黒いベレー」
一応Google先生のマイビジナスにはカフェ・喫茶とのカテゴリにカテゴライズされているわけだが実際昔からその商いだったのかは気になるところだ。
「スナック 絹」
この外観を見てくださいよ。とても令和の時代とは思えないズタボロの外観ですよね。宮崎のニシタチの連れ出しスナックの例もありますし、ここらあたりもそんな営業を行っていたんですかね。どこの店にしても、そんな営業は現役ではなさそうですが・・
これもかつての妓楼を思わせる、3階建ですよね。しかも一階部分の角にある出入口には特徴的な意匠が施されている。
玄関は完全に今風なので油断していると通り越えてしまいそうだが、よく見るとこの玄関は豆タイルでできてるんですよね。しかも円柱の意匠が3本(!)もあったり。
一般人は見過ごしても我々取材班は見逃さない。これは完全に往時の遺構と言ってもいいのではないだろうか。
「よい国を 子供のわたそう」
玄関ドアには、天孫降臨の地宮崎を連想させる標語が貼ったったり。いろいろ伝統を重んじる土地柄ですからね。愛国保守だろうか。
ちなみに、1930年(昭和5年)発刊の全国遊郭の歴史書のバイブルの一つでもある全国遊郭案内にはこのような記述がある。
「−−(中略)−−貸座敷は5軒あつて、娼妓は二十五人居る。店は陰店を張つて居て、娼妓は全部居稼ぎ制で送り込みはやらない。遊興は通し花制で廻しは取らない。」
「さくら」
「十八歳未満の 入店はお断りします。」
「御定りは五圓で壹の物は時下相場である。外に短時間遊びがあつて金二圓だ。娼妓は主に大分縣及本縣下の女である。娼樓には、○太幸、賓来家、寳徳、菊水、幸樓等である。」
延岡ではかつて、この辺りのことを“新地”と呼んでいた時代があったようだ。確かにこの昭和初期の記述にも「外に短時間遊びがあつて金二圓だ。」とあるので、このサービスとかが続いたいたんですかね?ちなみに昭和5年当時の学校教員の給与が45円程度。2円の価値となると今の1万円弱というところか。新地のちょんの間としての尺度から言うと辻褄が合うな。
さて、次回も岡富遊郭後の続きを見ていきましょうかね。
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(2019)