【総力取材】日本最大のちょんの間地帯、大阪五大新地の雄「飛田新地」をすっぱ抜く!全10P【2022年保存版】(9)

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※親愛なる読者へお願い。このページは豪華全10ページあります。料亭をフル掲載していますので、焦らず気長に全てご覧ください・・

全国裏探訪取材班は、保存版と称して大阪一のタブー地帯「飛田新地」を徹底取材している。前回まで取材班はメイン通り東側まできたので、そこから南下し、鯛よし百番方面に行きたいと思う。

「飛田新地 案内図」

今回はこの辺を見て行きたい。明るい時間に取材したので、さっそくご覧いただこうか。

取材班はメイン通り東端から南下していく。左側の天王寺側再開発エリアとの地盤の差は3、4mの高低差があるな。

こっちが、再開発エリアから見た飛田新地(左)。垣根や少し高い塀で向こう側は見えないようになっている。大阪一のタブー故臭いものに蓋。といったところか。

再開発エリアの高いところから見た飛田新地の一風景。妓楼と妓楼が背中合わせになった狭い路地。通りで言えばメイン通りと大門通りの裏側が隣り合っている。関係者向けに勝手口のような扉が目に付く。

これも同じく、再開発エリアから見た大門通り。こう見るとやっぱり日本一のちょんの間地帯なだけあって広大な敷地だよな。東端から大門のある西端は300m以上ある。ざっと2万5千坪か。

「御園楼跡」

飛田新地の一番東にある南北の道を南下する。うわ~結構散らかり放題っすね・・前回冒頭にもお伝えしたがこれは戦前に阿部定も居た御園楼という妓楼の跡だ。

大門からは一番奥に位置する奥座敷、御園楼は飛田遊郭時代は一流の妓楼として知られていたという。ちなみに娼妓阿部定は当時22歳、源氏名は「園丸」だった。そんな栄華を誇った御園楼跡も今はこの通りだ。

真四角の飛田新地の敷地東南にも妓楼が。手前にも赤線時代のモルタル物件か。

先ずは、手前の物件から見て行こうか。2階部分が個々の部屋がシンプル分かれているのが外の窓の様子から解る。やっぱソレ用の物件ですよね、これ。

角の入口なんて盛大に蔦に覆われてますもんね。戦後の赤線時代の思い出も、自然に還りつつあるのか。

「満月」

ここは飛田新地でも南東端の一番奥の所にポツンとある妓楼なのだが、現在はもうやっていない様子。満月というよりも完全に新月ですよ・・

玄関上には松と鶴か。こういった日本的な縁起物が良いですよね。もはや、こんな物件はこれから建てられることはないですよね。

こうしてみてみると、今でも娼妓の亡霊がどこからかこっちを見られているような感覚になる。

 

その満月から、西へ50mほど行くと、重厚に装飾された妓楼が現れる。

「鯛よし 百番」

ここは元妓楼を“本物の”料亭に改築した百番という料理屋。2000年(平成12年)に国の登録有形文化財に指定されている。

少しだけ中を見てみよう。流石元遊郭建築だけあって豪華に作られているのが分かるだろう。まぁここを詳しいディティールまで見て行くとそれだけでレポートになってしまうので、後日詳細をアップしたい。

次回飛田新地最終回。じっくりと最後までご覧いただこう。

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(2019)

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