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全国裏探訪取材班は、公営墓地のほぼすべてが無縁墓の「隈山墓地」に来ている。この墓地は江戸時代からある墓地のようだが、時代は江戸時代からいきなり現代になったわけではない。

江戸時代と現代のその間、そう、明治や大正時代の墓もここにはあった。

この「隈山納骨堂」付近まで来ると、比較的時代がこちら側に来るような気がする。

「池尻始妻和歌墓」

碑文を見ると地元の有力者らしいが、恐らくこれらも無縁墓だろうな。

墓石には辞世の句だろうか、筆で描いたような感じで石に刻まれている。

あまりにも、無縁墓が多い為か、納骨堂の近くには慰霊碑が建立されている。取材班はここで2時間ほど滞在しているが未だに参拝客はゼロ。異常だな。

もちろんここの墓石の所有者も行き方知れずなので全てにタグがつけられている。

さらに、墓石が建っていない墓もある。単に石がたくさん積まれているだけ。どこの誰かは分からないが。合掌。

「国分出身我死者之墓」
ここは久留米市の隈山墓地だが、昔の石の碑文には「国分」の墓と書かれている。現在のこの付近の住所も国分というが、この付近はかつて奈良時代に全国に建てられた“国分寺・国分尼寺”に由来するという。現在でもこの近くに「筑後国分寺」がある。この辺はいにしえより積み重なった歴史があるんだな。

「笠九郎兵衛夫妻墓」
ここにも江戸時代の墓があるな、この墓は笠九郎兵衛1690年(
安永8年)-1779年(元禄3年 )の江戸時代中期の篤農家で千石おとしや、千歯こきに並ぶ近代農具の“雁爪”を考案した功労者だ。

「雁爪」

さらに納骨堂から上に登っていく。

雑木林に隠されるように、大きめの墓が並んでいる。これらは上が四角錘状に尖っているので軍人の墓と思われる。

初めは大東亜戦争で戦死した陸軍軍人かと思ったが、碑文を見るとさらに前のものだったな。英霊を検証すべく、もとい、顕彰すべく一部をご紹介しようか。

「・・清国盛京省・・貫通銃創同地於野戦・・」
清国盛京省といえば今の中国遼寧省だな203高地などがある旅順だ。日露戦争に出征して戦死した墓のようだ。

「・・・三十八年一月十三日 日進上等兵同四月四日於清国清京省河南 西方高地戦死後明治三十九年十月十三日・・・」
やはりこちらも、日露戦争戦没者88,429人の内のひとりだな。当時はまだ韓国が独立していることもこの墓でわかるな。

歴史好きの取材班は、ここで碑文を読むだけでも、20分ほど時間を要した。太平の江戸時代から現代になるまで、彼らの犠牲があったため極東で唯一独立を維持できた。祖国のために犠牲になった英雄たちだ。もう少しまともに供養されてもいいが、残念ながらこの通りほとんど無縁墓に近い形になってしまっている。
一見無縁墓まみれの廃れた墓地に見えるかもしれないが、見方を変えればそこには悠久の歴史がある。行政にはしっかりとした改葬弔いをお願いしたいところだ。
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(2019)