【消えゆく】かつて東洋一言われた大刀洗陸軍飛行場の「掩体壕」と唯一現存する「零式艦上戦闘機32型」を見に行く。【戦争遺跡】(3)《動画あり》

全国裏探訪取材班は、大刀洗平和記念館の零戦32型を見てきたが、今回はここにかつてあった大刀洗陸軍飛行場の「掩体壕」を探しにいった。

取材班は事前にある程度場所は予想していたので、目的の物件をすぐに見つける事ができた。記念館から車で5分ほどだ。まずは、1分ほど映像をご覧いただこう。

「高上の掩体壕跡」

いかがだっただろうか。これが、当時飛行機を敵の空襲から保護するための掩体壕だ。映像もいいが写真でもじっくり見て行こうとしよう。

場所は筑前町高上。記念館から北西に2キロほぼのだだっ広い畦道の平野を走っていると間もなく発見した。

この掩体壕が完成したのは1945年(昭和20年)。大戦末期に完成した。見てわかるように、かまくら型ではなく、貫通型だな。掩体壕としては結構珍しいタイプだ。

長らく民間が隣接しており、その民家の倉庫として使われていたらしいが、最近になって取り壊された。今は掩体壕だけが残っている。

後部の開口部から掩体壕内部を見る。かなり広い事がわかる。おそらく幅最大25メートル、奥行きも最大20メートルほどあるのではないだろうか。

この大きさだと、最大で陸軍の四式重爆撃機“飛龍”が入る大きさに見える。四式重爆と言えば大戦後期大活躍した比較的優秀な爆撃機だ。

しかも、末期は四式重爆に対艦用の大型爆弾を搭載して“桜弾”という特攻兵器が誕生。ここ、大刀洗から出撃したのは有名な話だな。余談だかこの桜弾は命中すると、前方3km後方300mが華麗に消し飛ぶとの想定だった。恐ろしすぎる。

 

この掩体壕を見ながら、そのような話を一聞すると、国を守るためとは言え、そんな時代だったのかといろいろ考えさせられるな。それに比べ今の体たらくはマジでどうにかせんといかんかもな。

中に入ると直射日光が遮られ温度が下がっており冷やっとするな。

中に入り、天井を見ると当時のワイヤーの跡などがいまだに残っている。天井だけを見ると日光、風雨を食らっておらず、当時とコンディションが余り変わっていないな。少しだけ当時の兵隊の気分になる。

全面の開口部向かって左は今風のコンクリブロックで簡単な納屋のようになっている。これは恐らく倉庫として使われていた時のものだろう。

今日はこんなもんにして、次回細かい部分をクローズアップしたり上に登ったりしてみよう。お楽しみに。

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(2018)