全国裏探訪取材班は、国境の孤島「舳倉島」に上陸を果たし、島を時計回りに周回している。前回は島の住居エリアを取材し島の南端に近い場所まで来た。
島の南側まで来ると「奥津比咩神社」の鳥居が見えてくる。
「式内 奥津姫神社」
境内へ入るところには灯篭の代わりに、石が積まれた門がある。
どうやらこの石積みは「ケルン」と呼ばれているらしい。取材班は境内への門柱の代わりにしか見えないのだが、島の西側にはこのような石積みケルンがたくさんあるようだ。ただ、この神社のこれが西側にあるケルンと全く同じ意味で建てられたかどうかはわからない。
取材班は境内へ入る。
あ、こっちには一般的な灯篭がありますね。
狛犬も鎮座。この台座もケルン風かもしれんな。
本殿(左)と大和田神社(右)鳥居の直線上に本殿があるわけではなく、防風林に囲まれた境内にコンパクトに神社の機能がまとめられている。
この奥津比咩神社は舳倉島の総本社として祀られ、地元民には「舳倉権現」や「西ノ宮」と言われている。奥津比咩神社の名前の由来は、奈良時代の国守「大友家持」が万葉集に“沖つ島 いゆき渡りて 潜くちふ 鰒珠もが 包みてやらむ”と詠み“沖つ島”→“奥津”となったのが定説という。なるほどな。
奥津比咩神社境内から石で積まれた防風壁越しに日本海北側を見る。ちなみにこの奥津比咩神社は、前回お伝えした住居エリアに今でも存在する伊勢神社がる地から江戸時代の最初に遷座されたという。後に紹介しよう。
取材班は、奥津比咩神社の境内を一旦出て、島の南端を回ることにした。
島の南端部分。遊歩道は綺麗なアールを描いている。そのアールの中央部分にまた社があるな。
「大牟田神社」
ご覧の通り、島の南端部分は北側に比べ、比較的穏やかな地形をしており砂浜などもあるな。
砂利の砂浜。結構先まで浅瀬で、色々な海産物が採れるらしく夏は海女さんが多い。人口も当然一時的に夏は増加する。100人くらいは裕に増えるという。
「シラスナ遺跡」
島の南端部分から時計回りに北上してくると、一面の原っぱが広がる。ここはシラスナ遺跡と呼ばれるところで、西暦800年(奈良・平安時代)くらいの遺跡が出土したエリアで、牛やアシカの骨が大量に発掘され、貝塚も残っていた。この舳倉島には他に、深湾洞遺跡や名舟屋敷遺跡など他2つの遺跡も発見。今は単なる原っぱですが、歴史的にタダモノでは無い感が感じられます。
こうした歴史的背景もあり、次回はさらに信仰の部分もスポットを当てて行こうか。
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(2016)