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全国裏探訪取材班は「大分の埋もれる潜伏キリシタン関連遺産」も一旦、今回を最終にしたい。最後の今回は国道442号線から南に外れた「上坂田の磨崖仏」というスポットだ。
あたりには、ひたすら田園風景が広がっている。
〔32°59’20.3″N 131°18’53.9″E〕
「上坂田の磨崖仏」入口。鳥居には「新明社」と書かれている。
手元の時計で時刻を確認すると、日没まで20分となり、ここら数百メートル登山し取材して下山までを考えると復路は日没後が予定されるが、取材班は登山を決行。
するとここを通った住人が「今から行くの?イノシシが出るから気を付けた方がいい!」(標準語訳)と言いながら去っていった。しかし、時間の都合もあるので、取材班は忠告を無視しして決行(笑)
高感度撮影のため、画面では明るく見えるだろうが、実際はかなり暗い。滑り落ちると取材が終了してしまうどころか、人生が終了してしまう様な所がいくつもあった。注意されたし。

尾根のようになっているところを進む。奥になにやら四角く掘られた洞窟のようなものがある。現場だ。
紙垂のようなもので結界を張っているのだろうか。奥に神棚が見える。これだけ見ると、神式のように見えなくはない。しかし不気味だな。スピードライトを利用して撮影しているが、真っ暗w
「上坂田の磨崖仏」
神棚の右手には、例の磨崖仏が上半身だけが壁に彫られている。右端には彫られた年も彫られており「嘉永六丑年」(1853年)とある。
顔の目は吊り上がり、瞳は赤く塗られている。口はへの地に反り、怒っているようにも見える。どう見ても安らかな顔でなないことは事実だ。さらに、胴体部分には天使のように羽を広げているようにも見える。これは一体何を意味しているのかは不明だが、普通はあり得ない信仰対象に羽が生えているなどの事から、隠れキリシタンの遺構ではないのかと言われている。
真っ暗なのでディティールがしっかり確認できなかったが、正面の神棚の仏像には“十”のようなものがあるな。これも十字架を表しているのかどうかは不明だ。
とは言え、この遺構から、根拠はないが辻褄だけは合っているという事になっており、ここの隠れキリシタンを裏付ける、もさらなる調査が必要かも知れない。このままでは、神か仏かキリストかよく分からない。ま、当時からソレを曖昧にして迫害を逃れていたのかもしれないが・・そうであれば、真相は永遠に闇の中だ。
なぜかわからないが、一升瓶が散らかっていた。
今回の一連の取材では、昨今世界遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」ではなく「大分の埋もれる潜伏キリシタン関連遺産」と命名し独自の取材をしてきた。長崎などよりも早くキリスト教が広まったが、後から広まった長崎の方がビジュアル的な事や、いろいろな大人の事情で世界遺産になってしまった。登録された長崎の世界遺産のようには注目が集まらず、情報も少ない中での取材は、現場をも特定するのすら苦労したりもしたが、隠れキリシタンなのでそれは当然だった。民主主義ではない時代、酷い迫害や差別のあったがキリシタンとして活動していた信仰心の深さには恐れ入る。今回のスポットは殆ど管理されていない状態なので、今後遺構などはどんどん荒廃が進んでいくので、今のうちに見ておいた方がいいと思う。温泉もいいが、大分にもいい感じに隠れキリシタンスポットがあるので探検がてら探訪してみては。
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(2018)