【意外と】山鹿温泉の共同浴場「さくら湯」と上市町遊廓跡のスナック街。【古い歴史】(1)

全国裏探訪取材班は、熊本の古い温泉地「山鹿温泉」に立ち寄っている。現在この地で稼働している温泉は、旅館ホテル合わせて20件ほどあり熊本有数の温泉地だ。

共同温泉「さくら湯」

山鹿温泉の開湯は古く、1156年(天保元年)の天保の乱からの帰り道、山狩りをしていた宇野親治が山中で傷を負った鹿が湯に浸かっているのを見て温泉を発見したらしい。これが今では“山鹿”という地域名にもなっている。

現在のさくら湯。西側から。

このさくら湯は、1640年(寛永17年)には参勤交代のための宿泊所として“御茶屋”として整備され、その当時からすでにこの地に温泉があったようである。時代は維新を迎え、1872年(明治3年)には今と同じような木造の市民温泉として大改修され、1898年(明治31年)には道後温泉建築の棟梁坂本又八郎が大改修。その後も1929年(昭和4年)に東西に付け加え南北の破風を追加した。

「近代ビル当時のさくら湯の様子」

しかし、1973年(昭和48年)大規模再開発によりコンクリートのビルに建て替えられた。辛うじて正面玄関の唐破風玄関だけはそのまま使った。

「唐破風玄関」

そして、2012年(平成24年)に往時の様式で再建築。唐破風玄関のみは当時のままの姿だ。

さくら湯入り口付近の「飲泉設備」。24時間供給され続けている。

さて、温泉はこれぐらいにしつつ、この付近のスナック街を見て行きたいと思う。熊本の辺鄙な場所のわりに結構夜は栄えているようだった。

今回は、まったく裏探訪取材班とは関係のないメンバーも同行していたので、食事の後地元民の接待で某スナックに入ることになった。スナックに入るのはいいのだが、ホステス?の年齢もクオリティも低く動物園か!?となったw

その為裏探訪取材班はある程度カラオケを楽しみ、早々にスナックを後に徘徊を始める。

「山鹿ビル」

 

昼間の健全な店はスナックと選手交代し閉まっている。

「すなっく 山鹿 さんろく 2F」紫とマゼンタピンクの組み合わせが渋いな。

「SNACK ルビアン」こっちは既に閉店か・・

若干アラビアン系かな・・・

 

「ニュー油屋スカイスティ」

この油屋というジブリ映画にも出てきた名前のビルは、山鹿では一番大きな部類の飲み屋ビルだ。

レパートリーも豊富!さ~いらっしゃい!

このスナックの立ち並ぶ通には「山鹿大火災復興記念碑」がある。

1971年(昭和46年)に山鹿中心街で焼損面積5,280㎡、焼損棟数50世帯以上の大火災があった。この大火災によってさくら湯の木造建築から鉄筋コンクリート造への再開発の遠因になった。

次はさらに奥の、上町スナック街を見て行こう。

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(2018)