【別名】君が代のルーツ。熊本の山鹿にある「不動岩」上空から観察する。≪動画あり≫【チ○コ岩】(2)

全国裏探訪取材班は、熊本県山鹿市の「不動岩」を探訪している。

地元ではチ○コ岩(笑)として有名なようだが、後編である今回は比較的真面目なお話をしたい。

まずは不動岩のディティールをお楽しみください。

「不動岩」空撮

「変斑糲岩」
この岩は元々地中深くにある岩らしい。数百万年いや数千万年さらに数億年かけて、大きない岩盤が、大きな岩になり、さらにそれが岩になり川に流され、小石となり、海水に揉み洗いされ、小さい砂になり、それが海底で何層にも重なり圧縮され、再度岩盤になり、また周囲が削られる石。そんな、途方もない時間をかけて出来る“さざれ石”。我が国の国歌にも登場するのはご存じだろう。そのさざれ石もこの不動岩がモデルだという説もあるのだから驚かされるな。

取材班は、不動岩付け根に建てられている「不動神社」社殿まで来た。

「不動岩案内板」

“不動”と言う名前の由来は、平安時代、794年(延暦13年)ごろ、たくさんの山伏たちがここで不動明王を奉り修業をし、そこから徐々にこの名が浸透したらしい。

社殿部分直上には「不動岩」が直角で聳え立つ。かなりの迫力。付け根部分から真ん中まで直角で、そこから先は亀頭のようにさらに反り返っている(笑)やっぱチ○コ岩だなw

まぁこう思うのも無理もないみたいで、地元では・・

「みいくさの 神の姿を仰ぐかな 平伏す岩は まつろえる神」 

という歌もあるぐらい。ざっくり意訳すると「この堂々とした勇ましい姿は、いかにも男性的で力が漲っているよう」という意味らしい。本当に男性の“漲った”感じだもんな(笑)子孫繁栄。悪いことではない。

「一金百圓 立山俊蔵」「鹿本郡来民町・・」と読めるので鹿本郡来民町が発足したのは1986年(明治29年)。鹿本町となり終了したのは1955年(昭和30年)だからかなり古い時代の玉垣だな。しかも“100円”でこれだけ誇るのなら、この間の時期でも前期と思う。

「九州自然歩道、史跡探索コース」にも指定されている。
さらに、この案内板にはこの不動岩のある伝説が記されていたのでここで紹介したい。

ある昔、この「不動岩」と、北西にある「彦岳権現」は異母兄弟だった。その母親は実の子不動岩を可愛がり、不動岩には美味しものを食べさせ、彦岳には粗末な木の実などを与えていた。ある日母は「首引き(綱引き)をして勝った方に宝物を三つ与える」といい兄弟は戦った。普段から美味しい物ばかりを食べている不動岩は踏ん張りがきかず、不動岩の首がちょん切れてしまった。それが今の「首石岩」である。この付近は赤い血だらけになったため、ここ一体の土地は赤土になったと言われている。ちなみに首引きの時にお互い踏ん張って盛り上がった山が「震岳」だ。この震岳山頂付近にある2つの凹みは首引きで出来た縄跡らしい。

怖い伝説だがこのような言い伝えがある。実際に、ちょっと前までは不動岩上から自殺するのが流行ったとか流行らなかったとか。

子孫繁栄なはずだが、いろいろな曰く付きの様だ。

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(2018/)