【熊本の】「八代」の旧赤線地帯と河童伝説。【第二都市】(4)

全国裏探訪取材班は、旧土手を降りていよいよ旧赤線地帯、紺屋町遊郭後に入って来た。

今となっては遊郭の跡を思わせる建物は殆どなく80歳くらいの地元民に昔の聞いても「俺が若い時に遊郭が無くなった」との証言だけだった。取材班は1930年(昭和5年)に刊行された、かの有名な“全国遊郭案内”にて“八代町遊郭”を調べた。

土手の内側「旧紺屋町」。現在は本町と言う名前になっている。

全国遊郭案内には“現在貸屋敷は七件あって、娼妓は約六十名位居り、店は陰店及写真の両制である。大阪式時間制又は通し花制で、廻し制は取らない。一泊六圓と五圓とあって各酒肴附である。――(略)―”とある。

公務員の初任給が大体50円、ラーメン一杯10銭の時代だったので、大体今でいうと30,000円ぐらいか。なるほど。

「八代城下町図」地図右下の深緑部分が紺屋町。ここは明治から戦前まで公娼制度に登録された遊郭だ。取材班はその真ん中の赤丸部分にいる。
このほぼ旧遊郭街の中心に、往時からの唯一の建造物貸座敷「黄金」が残っていた。

赤丸部分から北側を見る。写真左部分が「黄金」となる。

「貸座敷 黄金」(こがね)

明治元年に料亭として竣工。以降大正時代の最盛期を挟み、終戦まで遊郭街の料亭として栄華を誇っていたようだ。

「貸座敷 黄金 正面」

戦後は貸座敷業に転向、しかし例に漏れず、1957年(昭和32年)に売春防止法施工に伴い廃業、所有者の移転並びに増改築を重ね今に至っているという。

実に遊郭街らしい意匠も随所に残っている。

格子にも雰囲気がある。

往時の商売内容を表すような銘板はなかった。残念。

 

2階の欄干には「雁」をモチーフにした透かし彫りの意匠がある。うん。いいね。

貸座敷黄金の横にはレンガの塀が残る。ここは「検番」跡らしい。検番とは芸者などの取次や、玉代などの清算をする場所と合わせて、その管理監督もしていたようだ。ここは遊郭の中心だったわけだな。

取材班はさらに土手の内側を西に進む。土手の上には民家が面積いっぱいどころかはみ出している

「串焼 奴」

しばらくすると、公園のような広場に出る。ここに出ると旧赤線の紺屋町から外れたことになる。昔はここに遊郭の門があったようだ。

 

青いエリアが旧赤線エリアなわけだが、青エリアの左(にある公園から西は厳密に)は旧紺屋町(現本町一丁目)ではなく中嶋町(現本町二丁目)となるようだ。

ここからが中嶋町(現本町2丁目)。まだ何かありそうなので、次回はさらに西に歩いて行ってみる。

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(2018)