【若松“市”時代】北九州市若松区、激渋の街並みと「大正町商店街」周辺【繁栄の面影】(1)

裏探訪取材班は北九州市にやって来た。北九州といえば小倉城や、門司港レトロ地区。そして海峡花火大会などが有名だが。この北九州地区は、明治維新以来様々な自治体が変遷し今に至っているのだが、この北九州市若松区もかつては若松“市”であった。
もともと若松市は1914年(大正3年)、遠賀郡、若松村、石峰村、洞北村、江川村の4村が合併し誕生。以降1963年(昭和38年)からは今の北九州市の一部になった。
 写真は高塔山から西側を望む。中央洞海湾からこちら側が若松区、向こう側が八幡製鉄所などがある戸畑区だ。今回は洞海湾手前の若松区市街地の様子を見て行きたい。
まず、北九州市の中心部地図右方面の小倉から、若松区に行くには鹿児島本線で折尾まで行きそこから折り返すような形(遠回り)で筑豊本線で若松駅まで行く方法と、戸畑で降り若松まで若戸汽船でバイパス(近道)する方法がある。もちろん近道するルートが安くて速い。
 ってことで裏探訪取材班は若戸汽船、戸畑渡場へ向かう。
 料金は大人100円、小人50円。大体1時間4本の汽船が往復している。
 「第十八わかと丸」38.0総トン、出力420馬力、速力9.5ノット。旅客定員140人
 夕方だったので主婦学生が中心。“ポンポン船”として住人に親しまれている。
ちょうど若戸大橋の下を通る 。運賃に50円を足して自転車の積載も可能。また原動機付自転車は若戸大橋を通行することができる。
 モータリゼーション発達によりほとんど姿を消した渡し船も妙な郷愁がある。さすが若戸。
今回の探訪を予感させる。
 北九州市戸畑「ニッスイ戸畑ビル」は1936年(昭和11年)竣工。さすが創業地。貫録がある。
 そうこうして乗船時間3分。「若松渡場」に到着。若松区へ上陸する。
 猫が出迎える。裏探訪取材班は若松区中心街を目指す。
 東西に「エスト本町」南北に「明治町銀天街」。南側から北側を望む。それにしても九州人はなぜ商店街の事を“銀天”街と呼ぶのでしょうか。う~ん謎w
 住宅街をウロウロしていると、おっ!遠くになにやら横丁を発見。
「名物酒場 千客万来 ちどり横丁」これはレトロだ~。もちろん、門司港“レトロ”のような作られたレトロではない。現役のレトロ。勘違いしてもらっては困る。
 早速中へ入っていこう。「富士」実にオーソドックスなネーミング(笑)なにやら開店準備をしている。リアルレトロ。リアルワールド。最高だ!
 奥は迷路のように細い道。しかも木造。これは出火したら一発アウトパターン。
またトイレ空間も激渋!
この色の塗分けは・・・う~ん。赤、黄、青。三色。これは絶対意図してますね。はい。
せっかくの激渋横丁もこんなことしちゃったら、千客万来せずに学会員だけになってしまうんじゃない?w残念。
 「ミニスナック 優」「エル」さっき三色が描かれてたから、このエルの仕業じゃないかと取材班は疑う・・某学会では黄は“知性”らしい。(笑)
 「ちどり横丁」南側から見る。こちら側は綺麗に壁が修繕されている。
若松市街地は他に商店街や市場がたくさんある。次回そこのとこ見て行こう。
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(2016)