【異様な】奈良三大遊郭、大和郡山の東岡町遊郭こと「郡山新地」【雰囲気】(3)

全国裏探訪取材班は東岡町遊郭こと郡山新地を調査をしている。
同じ郡山の洞泉寺遊郭を陽とすれば、東岡町遊郭は陰だ。売春防止法以後も組織的に外国人を働かせていたからか、はたまた、マスコミにすっぱ抜かれ国家権力につぶされたからだろうか ・・今の郡山新地は暗い影を落としている。
 死にかけのズタボロの巨大妓楼に公衆電話。この組み合わせだけでも、不気味な感じがしますね。
 この巨大な妓楼の前には比較的新しめの「旅館 リキ」。
この看板と感じは明らかにアッチ系の営業でしょう。売防法以後に“休憩あり”の旅館をして、しかも、大きな間の抜けた信楽焼のタヌキで警察の目をごまかそうとしたのでしょう。
この界隈はそんなに裕福ではなさそうな長屋が多いです。
このようなところに多くの、アジア系外国人労働者を住まわせ客をとらせていたのでしょうか。
ちなみに、現役時代の東岡町遊郭は「全国遊郭案内」では貸座敷17軒、娼妓150名とあります。
 これは元妓楼の勝手口でしょうか。わかりません。
 「旅館 青加」う~ん・・しかも色はピンク。タヌキのカムフラージュは無いですがw
これもまた旅館とは名ばかりの“ちょんの間”でしょう。
 少し戻って、東岡町遊郭西側に行ってみる。踏切の向こうにもカフェー風の洋館?がある。調査隊は踏み切りを渡り西進する。
 踏切から西は、東岡町と対比し西岡町という普通の住宅街ながら、やたら洋風な建築物が目を引く。東岡町遊郭が無ければ気にも留めないが、やはり気になる。少しみて行こう。
 
 正面から見ると、左の西側は和風、そして、右の東側は洋風という何とも変わった建物だ。
 洋館部分の2階を見てみる。大きな窓が2つまたそして右には孔雀だろうか。ステンドグラスまである。
 左の和風の格子も立派で、遊郭にも見えなくはない。東岡町遊郭から目につく東側にカフェー風洋館にしているのは何か意図があるのだろうか。真相は定かではない。
 大和郡山といえば金魚の養殖も盛んだ。しかし、今は安い輸入物に押され厳しいようである。金魚田も見ての通り、手入れされていないように思える。
 
 「紀元二千六百年記念 東岡青年團建立」
紀元(神武天皇即位紀元(皇紀))2600年といえば昭和15年(1940年)だ。日米開戦するちょうど一年前この碑が東岡青年團によって建てられた。皇紀2600年といえば下2桁の“00”を取って命名された世界最強の戦闘機「ゼロ戦」が有名だ。
時代は戦時体制下、東岡町の血気盛んな若者が建立したんだろう。
「戦地へ行く前になじみの女郎と・・」そんな会話が聞こえてきそうである。
取材班は東岡町遊郭を後にし、近鉄郡山に向かっていた。ところ 「喜久乃家」(横書き)「喜久乃家」(縦書き)「料理 喜久乃家 ラウンジ喜久」「ラウンジ喜久」「Lounge喜久」(喜は七三つ)
やたら、看板が多いがおそらく店舗は2つだろう。何の店かよくわからないが料理屋とスナックだろう。
 ズタボロのたこ焼き屋もある。渋い。
 近鉄線と並行する駅前に向かう通り。何やらタイルが張り付いたこれまたカフェー風の建物。1階手前はスナックだろう。奥は中華料理屋だ。
 
 最後は速足だったが、近鉄郡山駅に取材班は到着した。
まだ探せば町の中には見落としたスポットがあるのかもしれない。洞泉寺町はまだ保全する気がある意思が伝わってくるが、東岡町は幽霊新地だった。興味をもった方は早めの探訪をお勧めする。新しいトピックがあればタレコミ願いたい。
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(2017)