【模擬天守】伏見桃山城キャッスルランド跡地【結構立派】

全国裏探訪取材班は今回京都市伏見区。伏見といえば伏見稲荷大社などを思い浮かべるけれど、少し歴史に詳しい人が、伏見といえばやっぱり伏見城ですよね。
天下人豊臣秀吉が築きわずか30年ほどで4回もの建て替え・改築を繰り返した伏見城。このかつての政の拠点に
「伏見桃山城キャッスルランド」
はありました。
伏見桃山城キャッスルランドは1964年にオープンしましたがUSJの出現などで2003年に閉園しました。
 京阪丹波橋や、近鉄丹波橋を降り、東へ歩くこと10分ほど、桃山町に差し掛かります。
桃山町は不思議な街の名前がついており
「京都府京都市伏見区桃山町“三河”町」
「京都府京都市伏見区桃山町“島津”町」
「京都府京都市伏見区桃山町“毛利長門”町」
「京都府京都市伏見区桃山町“治部”町」
などとついています。勘のいい方ならばすでにお分かりだと思いますが、当時伏見城に詰めていた大名屋敷の名残から、このような町割りになっています。ちなみにここは“島津”です。他に“最上”“正宗”などがあるようです。
 このエリアは比較的高級住宅街で、大きな門構えの屋敷がたくさんあります。ざっとサラリーマンのマイホームの10倍はあるでしょうねwどれも立派です。
 ”桃山町治部少丸”に建つあるお宅のお名前は
「石田」。
何かかの有名な石田三成とつながりがあるのでしょうか。。カッコいいです。
ここからが入り口です。
ちなみに、伏見城と一言で言っても時代によって指す場所が異なり、伏見城は主に第五期にわかれます。簡単に説明すると・・・
第一期:1592年豊臣秀吉の隠居屋敷
第二期:1594年豊臣秀吉の指月伏見城(慶長伏見地震で倒壊)
第三期:1596年豊臣秀吉の木幡山城(伏見城の戦いで落城)
第四期:1600年徳川家康の木幡山城再築
第五期:1607-1623年年徳川秀忠・家光の改修・破却
に分かれています。
このキャッスルランドの伏見城は場所は違いますが、第三期以降の伏見城と同じ丘に作られています。
ちなみに第三期以降の伏見城の遺構は江戸時代に破却され、その後明治時代に宮内省の御料地となり、明治天皇桃山陵、昭憲皇太后桃山東陵によって大部分が上書きされたようです。
現在も御陵の為立入りが出来ない部分があり。立ち入れる部分に弾正丸の土塁、水堀(治部池)があります。しかし、かつての天守台などは立ち入り禁止区画にあるようです。
 伏見桃山城運動公園の案内板です。かつて、奥の運動公園の部分までがキャッスルランドでしたが、今は手前のお城エリアのみが原形をとどめています。
城門です。結構立派です。平日のためか誰もいません。
 案内板もありました。
 城門には大きな豊臣家の桐紋があります。かなりでかいです。入場料金は・・・?もちろん無料誰でもどうぞ。
 
 城内に入りますが、やっぱり誰もいません。少し荒れかけています。
お城はやっぱり織豊系の黒ベースデザイン。桃山だけあって桃色のアクセントカラーなのでしょうか。

 天守閣以外にあまりオブジェクトはなく手入れがされているとも言えず、寂しい城内です。

 天守はどことなく大阪城に似ている気がします。あまり古さは感じず、かなり立派です。
 耐震基準まで補強してうえまで入りたい気分を抑えつつ、意匠をじっくり確認します。
破風の部分にもしっかり豊臣家の象徴。
「五七の桐」
もしっかり刻まれています。
 
 連立した小天守も立派です
この模擬天守は実は耐震基準を満たさず、中には入れないようです。
 本来の「
木幡山伏見城跡」
は、現在地よりもう少し南側の御陵の立ち入り禁止区画にあるようです。
 城の位置が微妙に違う“伏見桃山城”ですが見ごたえありの無料施設ですのでお近くに寄った際はぜひ。当時の面影は感じられると思います。
#京都市 #歴史 #マニアック #観光地
(2017)