【再開!?】現在の「かんなみ新地」とその後は!?調査してみた!【取り壊し?】(2)

全国裏探訪取材班は、尼崎市と同警察署より警告書を受けて閉業が続いている「かんなみ新地」はやってきた。取材班が調査した日は閉業してからまだ日が浅く往時の雰囲気がいまだに残っていた。

「現役時代のかんなみ新地」

さて、取材班だだれもいないかんなみ新地を徘徊していく。

こちらが北側の一角。確かによく見ていくと室外機が取り外されているのがおわかりいただけただろうか。右の一角は健在だが、左の軒先の上にある設置レールから取り外されているのがわかるだろう。

平日昼間にかかわらず誰もいない。かつての夢のあと。取り壊されてしまう運命なのか、それとも額面上の飲食店として復活するのか。

「施工済 抗菌・防臭 抗ウイルス」

ある元ちょんの間こと飲食店の入り口には、コロナ対策のためのシールが貼られていた。あの飲食店キラーの武漢コロナでも潰せなかったかんなみ新地なんですけど、たかだか、穀潰市役所や合法ヤクザ(ポリ公)に潰されるなんて我々が一報を受けた時も寝耳に水でしたからね。

ましてや、戦後ドサクサ期の発祥から近年まで、大なり小なり市や警察に対しては風紀上の苦情などが多く寄せられていた。

行政としても度々警告や、見せしめの検挙なんかもしていたらしいのだが、その度にまた雨後の筍のように営業を再開していた。それほど男の欲は強いものであり、無法地帯っぷりだったようだ。

で、そんな無法っぷりの当時の様子はこちら。男が狭い路地裏を行き交い、典型的な尼のおばちゃんが男に声をかけている「兄ちゃん!みたって!JDの娘やで!」とか何とか言って居た記憶がある。

そんな日に焼けた尼のおばちゃんが椅子に座って呼び込みをしていた、路地の現在はこちら。もうあのような活気は戻ってこないのだろうか。日中だが静まり返っている。規模こそ違うがまるで横浜黄金町のココみたいだな。

 

当然、この場所は前述の通り風俗営業の許可は無く、飲食店としての登録で裏の商い。が続けられていた。なら許可があればいいんじゃね?と思うかもしれないが・・

「三和商店街(写真奥)」

風営法はとりわけ厳しく、風俗営業の要件は商業地など立地の条件を満たす必要がある。住宅街はまず許可が下りず、かんなみ新地の東には尼崎の三和商店街などがある商業地に当たるのだが、直ぐ至近に市立竹谷小学校や病院などの施設あり、やはりこれも厳しいようだ。

さて、次回は「かんなみ新地」の現在の様子を現地民に聞き取ったのでそこんとこを見ていきましょうかね。

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(2022)