全国裏探訪取材班は、沖縄県の宮古島へやってきた。なぜ取材班はこんな南の島へやってきたのかというと他でもない「慰安婦記念碑」があるからだ。今回の件も全国裏探訪取材班に対しタレコミを頂戴した。タレコミの本人は朝鮮人に酷い嫌がらせを受けたことがるらしく、おでん文字ことハングルを見るだけで吐き気がするらしいwそんな熱心な読者より投げ銭を頂戴したので早速宮古へと飛んだ。
「宮古島」
本土から遠く870Km。沖縄本島からも300Km弱の距離がある宮古島なんですけど、まずどうしてこんなところに慰安婦の碑があるのだろうか。さっそく調査していきたいと思う。
早速現場へ向かうとしよう。Googleマップで調べると「アリランの碑」は宮古空港から車で15分ほどらしい。市街地から逆方面に行くのでほとんど民家はない。
存在するのはだだっ広いさとうきび畑が延々と続くだけだ。本当にこんなところに慰安婦の碑があるのだろうか。
すると遠くから何やらブンブン♪パラリラ♪ブンブン♪と暴走族風の音が聞こえて来たと思ったら案の定ソロ暴走族だった。女を背に乗せ、まぁ若気の至りと言ったところか。随分と時代遅れな島だな。
ナビに従ってくると、だんだん道幅が狭くなってくる。それにしても空港からここまで車数台しかすれ違ってないんですけど・・
すると我々取材班の前に、航空自衛隊宮古島分屯基地が遠くに見えはじみた。なるほど、上の地図を見て貰ったらわかると思うが、宮古島は本土よりも台湾や中国大陸に近いことがわかるだろう。しかも近年の中国軍の活発さから見て沖縄本島ー宮古島の宮古海峡は中国が太平洋に出るための重要なチョークポイントにもなっている。
ということで、宮古島は日本の島嶼防衛の拠点で、巨大なレーダーサイトが設置されている。ちなみこれより先に航空自衛隊の基地は存在しない、まさに最前線と言えるだろう。
大東亜戦争中もその重要度は変わらなかったらしく、1945年(昭和20年)にあった沖縄戦の直前の1944年(昭和19年)には旧日本軍が宮古に要塞を構築。アメリカ軍の上陸に備えることとなる。
島は次第に要塞化され、同年10月5日にこの宮古島市(旧下地村)野原の敷地を強制接収し陸軍中飛行場が建設された。その後、10月10日には 「宮古島10・10空襲」と呼ばれる米軍の空襲で市街地の大部分が灰燼に帰した。
「航空自衛隊 宮古島分屯基地」
宮古島の近代の歴史はだいたいお分かりいただけただろうか。そして、その軍隊や軍属のために連れてこられた慰安婦を祀るのがこの地に存在する慰霊碑らしい。次回その慰安婦記念碑「アリランの碑」を見ていきましょうかね。
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(2021)