【黄金の国】「山ヶ野金山」は思いのほか広かった!【ジパング】(8)

 

全国裏探訪取材班は、鹿児島県霧島市に来ている。ここには「山ヶ野金山」という300年以上前から続く金山があった。今回たまたま親切な現地住民の案内で、子供の頃の遊び場だった金山の坑道を探索中だ。

中は地下水なのか雨水なのか不明だが水が溜まっており、あまり状態はよろしくなさそうだ。当然ここから出てくるのは金であるため、盗掘も多かった。当時も勝手に入らぬよう金属の扉でロックされていたようだ。

周辺を見渡してみると、火を起こした跡か?・・・そんなに時間は経っていない。さっきの道以外道がなく、また通ってきた道には人が踏み込んだ跡は見られなかった・・・先に進むとする。

元の道を引き返し、また次の坑道を案内してくれるそうだ。老人が子供の頃、無数の坑道が昔あったらしい。今ではほとんど草木で見えなくなったり、潰れてしまったらしい。

「塞の神(道祖神)」

道の途中に、塞の神が置かれていた。道祖神は本来村の境界または中心に置かれ、災いを防ぐ目的で作られる石像である。つまりこの辺りには村があったことを意味する。

山の奥地につれて来られた。ここも炭鉱跡のようだ。まーよくもボーリングなどまともな技術や油圧の重機など、テクノロジーが未発達な時代の中でよく掘れたものである。

中を覗いてみると、どうやらここの入り口は下に向かって垂直に穴が掘られているようだ。冷たい風が穴から出ている。土を掻き出すにしても相当な苦労だったのがこの穴の狭さから垣間見える。実際に酸欠によって多数が死んでしまった事例も多くあるようだがもちろん当時は保証のない犬死だった。今思えばかなり厳しい作業場だったんだろうな。では、次の目的地に急ぐことにする。

ここには江戸ケ谷千軒跡といって、鉱夫の住居があったらしいが、現在ではもう跡形もない。山ヶ野金山では他にもあるようだ。

ここは穴は大きいのだが、さっきからどうも岩を削っているようだ。岩は現代の掘削技術においてもなかなか難易度が高い掘削で、コンクリートのように綺麗に切れたりしない。崩落も少しずつ進んでいるようだった。

 

「徳源社」

奥に進むと、「島津久通」を祀った徳源社があった。約380年程前にできた神社のようだ。中に入って見ることにしよう。

んー鳥居の色といい、木の素材の良さが出ていたりと、モダンな感じの神社のように見える。ちなみに島津久通とは薩摩藩4代目当主で、当時から親しみを込めて”徳源さあ”や、髭の濃ゆい顔つきから”髭図書どん”と呼ばれていたことに由来してこの神社ができたようだ。

島津久通が親しみを込められた理由として、金山開発や、新田開発、茶栽培、用水路開発、杉の造林、紙すきなどを行い、薩摩藩の財政を再建したようだ。よくも江戸の時代に多動で動けたと関心するものだが、この金山が栄えていた当時は年二回盛大なお祭りが開催されていたようだ。

だが、今となってはその面影もなく、訪問者もごく一部となってしまった。歴史が教えてくれるように興隆と没落は常に対である。ではこの対局にある栄えた「山ヶ野金山」の痕跡を次回も追いかけることにしよう。

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(2020)