全国裏探訪取材班は、石川県能美市「下開発町」に来ている。この集落は東西南北に忠実に、苗字も「東西南北」で所在している変った集落だ。前回まで「南さん」、「中さん」、「北さん」、「東さん」を見てきたので、後は「西さん」を見に行こうと思うんですが、そもそもなぜこのような苗字になったのだろうか。今回最終回はそこのところを見て行きたいと思う。
前回「東エリア」まで見てきたんですけど、その下開発町集落の南東の一角にこのように小規模な墓地がある。ここの墓地も見て行こうではないか。やはり苗字も「東西南北中」だけなんでしょうか。
「北」「北」
早速、「北さん」コンビがお出迎え。ここは北家のお墓か。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。
「東」
やはり見渡して見るとここの墓地には、「東西南北中」の墓しかないことが分かった。
そこで、取材班は下開発町集落にあるもう一つの墓へと向かう。ここは集落の南西の一角に位置している墓だ。ここも同じく「東西南北中」の苗字だけなのだろうか。
「中家」「南家」
お、確かにここも「東西南北中」のお墓があるな。他にも・・
墓があり、これまた、戦死者の碑もあったりするな。これは「南さん」が2名戦死したのを顕彰する物か。
「杉本家」
で、「東西南北中」の墓がほぼ全てを占める中、ここには「杉本家」という墓があった。これは違う地区から転居してきたお宅なのだろうか。いや、じつはそうではないらしい。
取材班が一番初め八幡神社で見た鳥居の記名を見ていただきたい。筆頭に「杉本」という苗字があることがお分かりいただけるだろうか。実はこの「杉本さん」と言うのがこの集落に「東西南北中」という苗字が浸透した一つの要因でもある。
もう一度、地図をご覧いただこうか。集落は大体四角く東西南北があるのだが、その中央西寄りに黄色の敷地があるのがお分かりいただけるだろうか。そう、ここが「杉本さん」のお宅だ。
杉本さんの敷地を覗くと他の「東西南北中」の敷地よりもかなり広い様に見えなくもない。それもそのはず、この杉本家という居のはこの地区の庄屋さんだったのだという。江戸時代においては武士や特権階級や一部の庶民(庄屋・名主)を覗いて苗字を名乗ることが出来なかった。
「杉本」
それが、1875年(明治8年)に公布された「平民苗字必称義務令」で、すべての国民が苗字を名乗ることを義務付けられた。その際に、今まで名字の無かった杉本家以外の集落の住人がどんな名字を付けたらいいのかと言うのをある日「杉本さん」に相談してきたらしい。
その際杉本さんは、住んでる場所に応じて「東西南北中」とつけてはどうか?と言ったらしく、そのようにそれぞれが「東」「西」「南」「北」「中」と名前を付けたようだ。
さて、最後に「西さん」がどこに居るのか探しに行ってみましょうかね。ここは、西エリアなんでこの辺だろうか。
「西」
あ、居ましたね「西さん」。最後に「西エリア」をもう少し見て行こう。
「西」
こんな感じで、比較的新しい新宅にも西さんがいましたよ。取材班が町を歩いてみてわかったのはこの「西さん」が一番戸数が少ないと思う。
最後にこれはあくまで憶測だが、西さんが少ない理由として、もしかしたら平民苗字必称義務令で名前を付ける際に、東西南北の方角に対して名前を付けたのではなく、「杉本さん」から見て「東西南北」で名前を付けたのかもしれん。杉本さんは集落のど真ん中ではなく、集落の少し西側に所在している為、西さんの敷地が少ない=杉本さん中心で苗字を命名したとも推察される。
石川県能美市「下開発町」いかがだっただろうか。調査の結果タレコミ通り、東西南北に忠実に、苗字も「東西南北」だったことが分かった。また良ければ、面白いこと、不思議なこと、理不尽なこと、主張したいこと、内部告発があればどんどんタレコミくださいw
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(2021)