【現在と過去】あの「五条楽園」のお茶屋街の今は。【着物で接客】(3)

全国裏探訪取材班は、今回は京都に来ている。京都と言えば祇園にで有名な花街だが、ここは旧遊郭であり赤線地帯だった「五条楽園」があるエリアを散策している。さて、今回もその街並みをみていきましょうかね。

三友樓の目の前の橋を渡って高瀬川の西のエリアに入っていくことにしよう。

「京都 六条河原院 讃」

ここは元妓楼なのだろうが、現在はこんな感じで和食料理屋に転業しているようだ。ほとんどの遊郭はその負の歴史から潰されて住宅地になったり悲運が多いのだが、ここはさすが京都なだけあってそんな負の一面を受け入れているのだろうか。

現代的にLEDライトで間接照明が焚かれ加飾されているようだ。いかにも外人が好きな感じだな。

そんな料理屋を後にし、高瀬川西側を南下していこう。お、またそれらしい物件が見えて来たな。これは、カフェー調の物件だろうか。

それにしても、この物件引き戸が3、4箇所にあるな。これはまさか別々の店で営業していたからなんでしょうか。う〜ん謎だ。

ほら、部屋もしっかり区切られてるっぽいし、往時はそっち系の店だったんじゃないでしょうかね。

しかも、鋭角に立つ物件の先端には、こんなかんじで豆タイルの丸柱がありますね。豆タイルとレンガ、そのタイルのアールとレンガの直線。これは芸術と言っても良いのではないだろうか。

「お茶屋 芙蓉」(2005年撮影)

そうそう、そしてこの写真が取材班の一員が撮影した、まだ営業していた当時の同物件の姿だ。飛田新地の料亭みたいな行燈看板が取り付けられているのがみて取れると思う。今でも雰囲気はそう変わらんが、これはレアな写真だな。

 

そして、旧お茶屋芙蓉を西に進むと、4、50年前の連れ込み旅館風の物件があるな。壁のタイルと石の意匠がこれまた渋い渋すぎる。

界隈を散策していると、次は木造3階建ての物件を発見。これはすごいな。今だと建築基準法とか耐震基準とかで絶対建てられないであろう物件。

「歌舞練場小路」

物件が建つ路地は、歌舞練場小路と言われる路地。なるほど、3階建ては歌舞練場か。そういや橋下遊郭にも歌舞練場後のズタボロアパートがあったっけ。

正面から見るとこんな感じ。うぉ〜すごい迫力だなぁ。鉄筋の3階建てとはやはり迫力が違う。丈夫なのは鉄筋コンクリートのはずだけどね。

 

「五條会館」

この物件は1917年(大正6年)に建てられた五條會館歌舞練場と花街当時は呼ばれていた。中にはいまだに演劇場があり娼妓中心だった七條新地(五条楽園)となっても花街の体面は保っていたのだろう。

一回部分から3階部分を見ると、一般的な木造の建築物よりさらに大きいことに気付かされる。この威容はお城の天守閣でもみているような感覚だな。こんなものが100年の時を越え残っているのが素晴らしい。

次回も「五条楽園」の散策は続きますよ。

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(2020・2005)