全国裏探訪取材班は、名古屋にある日本最大級の遊廓「中村遊廓」を見に来ている。さすが日本最大級と言うだけあって広大な敷地だ。今回以降は中村遊廓の北部分を見て行こうと思う。
「ピアゴ」
中村遊廓のど真ん中にはピアゴと言う大規模ショッピングセンターがあるのだがそこから北に進む。
中村遊廓を中央南北に通す筋を北側に進んで行く。そこには「大門」と書かれた私看板が目に付く。一応ローマ字でも書かれており「OMON」と書かれていた。
ここがピアゴの裏側。一角が丸ごと空き地になっている。ここにはかつては「およし」と言う妓楼があったという。
その空き地の空き地の左の区画にも大きな木造の物件がある。なかな立派な物件だな。正面に廻ってみよう。
この物件、お察しの通り元遊郭だ。1912年(大正元年)に建てられた物件で元は一徳(ぴんとく)という名称だった。それが後年松岡と言う料理旅館に転業した。
「御料理 松岡西店」
この辺額は料理旅館時代のものだろうか。今でも玄関口などには往時の雰囲気を濃く残している。これは松の意匠か。
「健遊館」
そんな転業料理旅館も現在は健遊館と言うデイケアセンターになっているのだという。なるほどな。時代の流れと言う奴か。
そんな健遊館も表面から見るとこんな感じだ。元々遊郭だけあって中庭があるような造りだな。
2階の手摺を覗いてみる。手摺の欄干にも松の意匠がある。一徳時代は高級妓楼だったんでしょうかね。
正面横の壁面から中を覗いてみる。やはりデイケアセンターだな中を覗くと年寄りの老婆がヨボヨボと歩いているのが確認できた。年のころなら90を軽く超えて居そうな老婆だな。仮にこの老婆が90歳だとして、昭和3年生まれなので売防法施行が昭和33年という事を考えると、もしかするとここで娼妓を務めていた老婆が生き残り、晩年このケアセンターに入っていてもおかしくない計算になる。いや、逆のパターンもあるな。昔遊んでいた男がここに舞い戻る。なんてこともあるのか。色々考えさせられるな。
この元妓楼の隣には今でコンクリブロックが積まれている。これは女が逃げないようにか、火災の延焼防止のためか。
健遊館の路地を西に進むとまた妓楼を発見。右は和の妓楼左はカフェー風建築の和洋折衷物件とでもいった所か。
「福春」
ここは他の妓楼に比べると間口が狭い。中級クラスの妓楼だったんでしょうかね。2階には立派な格子も残る。
続けてカフェー風物件を見て行こうか。白いモルタルのような壁が特徴。これは赤線時代か何かの物件ですかね。
「TSURUNOYA」
鶴の屋だろうか。どういった業態なのか分からないが何の商いだったんですかね。当時を知っている方はぜひタレコミください。
屋根を見てみると変なところに鬼瓦が取り付けられていたり。結構まぬけだな。
表からはある程度綺麗なのだが、裏から見るとこの通り。かなりキテるな。
住人はもう居ないのだろうか。窓も外れて中の様子が見えてしまっている。ここも取り壊されるまでは時間の問題なのだろうか。
さて、次回も続きをご覧いただきますよ。
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(2020)