【隈なく】軍都仙台!「小田原遊郭」の面影を探し当てる!【散策】(1)

全国裏探訪取材班は、仙台に来ましたよ。仙台といえば歴史好きは伊達政宗。軍事オタクは陸軍第二師団とか、師団長乃木希典とか梅津美治郎とか思いつくのでは無いだろうか。現代では国分町を中心とした歓楽街が東北の男どもを楽しませているのは間違いないところだ。

「仙台駅」

取材班は2020年某日、仙台駅に到着しましたよ。まあ、仙台なら行ったことある読者も多いのではないだろうか。

「東照宮駅」

一般的にDEEPスポットは市街地中心部に多いのだが、今回取材班が来たのはJR仙山線で仙台駅から1駅目の東照宮駅。

ここから徒歩5分ほどで今回の目的地「小田原遊郭」に達する。仙台駅からバスでも乗れるようだが、今回は仙台駅からのJRで来た方が早かった。

取材班は小田原遊郭の北側からやってきたわけであるが、探索しやすいようにこの小田原遊郭の現在の中心部である西友小田原店の辺りから見て回ろう。

「西友小田原店」がある「大門通り」

こちらが小田原遊郭のメインストリート大門通りだ。かつてはこの辺りに「思案橋」があったと言うのだが今ではその面影は一切ない。

この小田原遊郭も他の遊里と同じく、1958年(昭和33年)に売防法の施行により完全に根絶されてしまった。そこから半世紀以上経っているので暗渠化されてしまったのだろうか。

「SHANGRILA ODAWARA」

現在のマンションのネーミングにも小田原と言う言葉は残っている。ちなみにこの仙台の遊郭は元はといえば全く違う場所にあった。どこにあったのかと言うと、現在の仙台市民会館とかあるところだった。

その当時は、小田原遊郭と言う名前ではなく「常盤町遊郭」と呼ばれていたようだ。当時の常盤町遊郭近くには、既出の陸軍第二師団なんかが置かれていたり、やはり軍と女は切り離せないというわけか。ただし、仙台市が発展する過程での綱紀粛正で移転することになった。

 

それで白羽の矢が立ったのが、この小田原という地区だった。移転前まで元小田原蜂屋敷跡と言われており仙台藩の関係の屋敷だった。1894年(明治27年)常盤町遊郭の楼閣、妓楼、楼主、女郎全てがここへと集団で移転してきた。

移転当時は、小田原遊郭と呼ばれずに、「比翼町」と言う名称や、江戸時代までの名称による「八重垣町」と言う名前が候補にあったようだが、結局、移転前の常盤町遊郭と言う名前を引継ぎ「新常盤町遊郭」などと言われていた時期もあるようだ。

その証拠と言ってはなんだが、この旧小田原遊郭内の電信柱の一部には、このようなプレートが未だに付けられていまた。

「常盤丁東裏線」

常盤丁とある。やはりビンゴのようだ。さて、今ではほとんど当時の遺構を残さない小田原遊郭だが、今回はどのような収穫があるのか。しっかり見て行きますよ。次回からもお付き合いいただく。

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(2020)