全国裏探訪取材班は、宮崎市に来ている。宮崎市?もしかすると関東在住の読者は九州のどこか。ぐらいの認識しかないと思うが、宮崎って日本の初代天皇神武天皇が生まれた場所としてあまりにも有名な場所である。まぁこの歴史って日教組だらけの日本の義務教育ではおそらく教わっていないんで、マジで歴史に疎い残念な民族であるんですが・・・
「宮崎駅」
「神話のふるさと 宮崎へ ようこそ」
そんな由緒正しき宮崎は民放が2チャンネルしかなかったり、残念な県なんですがそれは気にしないでいきましょう。
全国裏探訪取材班は、平和台行きのバスに乗り目的地を目指す。道中には宮崎神宮の大鳥居を潜って行きますよ。この時点でカンカンの創価学会員や、日教組だったら発狂しそうなんですが・・
「平和台停留所」
さて、終着点に到着すると、、おや高台の上に何やらロケットの発射台のようなものがありますね。これが目的地の八紘一宇の塔(平和の塔)か。
ここからがいわゆる参道なんですかね。早速登って行きましょうか。
で、なぜそんな創価学会や日教組が日本の教育に浸透して、日本の誇り高い悠久の歴史を国民が知らないのか。それは簡単。先の戦争に負けたからです。
その負けた瞬間から、占領軍であるGHQが日本を改革。日本の教育に敗戦国としての日本悪玉史観や東京裁判史観と言われるような自虐史観が蔓延していく。なので、国民は国の成り立ちや神話を教えなくなったんですよね。
戦前戦中までの公職者、教職者は公職追放され、戦後教育現場には共産党・日教組など日本を貶める者ばかりとなって行ってしまった。というわけだ。
一見話が逸れて行ったようにも見えますが、実はこの現在平和の塔と呼ばれている八紘一宇の塔は戦前戦中は戦争遂行のスローガンに使われていた“八紘一宇(はっこういちう)”という言葉のモニュメントだ。
ちなみにこの塔の着工は1939年(昭和14年)。完成したのは翌1940年(昭和15年)年だ。高さは36m。設計者は日本の彫刻家日名子実三だ。この人物は日本サッカー協会の八咫烏のシンボルマークをデザインした作家でもある。かなり有名人が設計したんだな。
そんな、戦争遂行のスローガンなんてとてもじゃない!けしからん!という声が左の耳から聞こえてきそうですが、そこで思考停止してしまっては。今までの戦後レジームどっぷりの残念な日本人になってしまう。
そこで次回は、この八紘一宇の塔をじっくりと見て回りながら塔の成り立ちとその意味を勉強して行きましょうかね。
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(2019)