全国裏探訪取材班は、松山の青線地帯「土橋料亭街」に来ている。平日の日中に来るとシンっと静まりかっているわけですが。誰も居ないというのはこのスポットの探訪には好都合だ。
今回取材班は、土橋料亭街の南側の路地を見て行きたいと思う。さてどんな感じなのかを見て行きましょうか。
「ドバシ 南」
一本南側の路地も袋小路になっている。こちらの南側は北側と違い看板などが殆どない。一見貧乏アパートのような雰囲気なのだが・・
路地に入るや否や、丸窓の格子が印象的だったり。松山と言えば、道後にあるネオン坂の松ヶ枝遊廓などが有名だったりするけど、この土橋料亭街に関しては遊郭とはまったく関係ない。私娼街からの系譜だった利するのだが、遊郭っぽい丸窓もあしらわれている。
まぁ、遊ぶ方からすれば、遊郭だろうが、赤線だろうが、青線だろうが、私娼窟だろうが、ちょんの間だろうが、料亭だろうが、何も関係ないわけで。単にお楽しみが出来ればいいわけで、この土橋料亭街は料亭という名を冠しながらこんな煤けた一発長屋があるわけですよね。
ある“飲食店”の中を取材班がのぞいてみる。確かにバーのような飲食店の佇まいなんですけど、商品として提供していたのはい女という料理だったわけです。と当時を知る男性老人は言っていた。
老人は続ける。更に、このカウンターにはホステスが3人ほど立っており、そこに客の男性がやって来て飲み物を出す。その男性客が特定のホステスを気に入ると奥の階段で2階へ行っていたという。カウンターでは出前も取れたらしく単に“飲み”だけでも利用できたという。ってかその老人絶対利用してただろw詳しすぎる。
南側の路地に並ぶち土橋料亭街ことドバシちょんの間群。これがもう少し繁華街近くに在ったら、飛田新地や松島新地のように昼間から営業していたんでしょうね。
ただ、この南側の路地は、北側の路地と違い既に更地になっていたり、歯抜けの空き地があるな。さすがに居きびしいんですかね。
その更地になったベネフィットと言うのはいささかおかしいかも知れないが、北側の物件の背面がきれいにみられるんですよね。
北側の物件の2階の裏の窓。開けっ放しの窓の柵には汚いタオルが干されいかにもちょんの間の裏風景と言ったところだろうか。
ここなんか、裏の壁が剥がれ落ち。建物の断面がよく見えますよね。当時2階のソファーでどんなことが行われていたんでしょうか。今座ると、長年染み込んだ男女のエキスがジュワッと出てきそうだ。オエ!気持ちわり~・・
「愛媛県 料理店 公安委員会」
ここにも飲食店のプレートががりますね。やはりちょんの間か。
出入り口から、中を覗く・・すると側面委は竹で組んだ遊郭風の装飾があったりするんですけど、その場所に・・
「本格手打ちうどん きつねや」
うどん屋の出前料金表があったりしますね。値段はきつねうどん350円、中華そば400円だったるするので、30年ほど前の水準ですかね。ちなみのこのうどん屋の住所を見てみると、もうすでにうどん屋の跡形は一切なく、相当前に工場の駐車場のようなものになっていた。
南の路地も一番奥ぐらいに行くと、生活音がかすかに聞こえる。TVののワイドショーの音楽だろう。その音の先には・・
元ホステスだろうか。女の遺影と共に、生活空間が垣間見ることができた。完全な無人空間という訳でもなさそうだ。
やはり路地の最深部には、ババシャツに長襦袢などいかにも生活感あふれる、光景が広がっていた。往時は商いで汚れたシーツなどを干していたんだろうな。
こんな既に終わったように見える、かつての青線ちょんの間「土橋料亭街」だが、現役で営業しているのだろうか。との単純な疑問を胸に、もう一度取材班は夜に探訪してみる事にした。次回、最終回夜の風景をお伝えしますよ。
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(2019)