【炭鉱の】交通の要衝だった。空知地方、岩見沢市の「三条遊郭」跡の三条小路とその界隈【遊郭】(3)

全国裏探訪取材班は、岩見沢市に存在したという「三条遊郭」跡を見に来ている。取材班の現在の地点は住所で言えば岩見沢市3条西1丁目付近だ。かつてこの辺に三条遊郭がったわけだが、現在はどうなっているのかじっくりと見て行こうと思う。

「スナック ほおずき」「PUB U-スタイル」

これが岩見沢の歓楽街のメインストリート。いかにも北海道の場末のスナック街と言った感じだろうか。

殆どの出入り口にはテナント募集の看板があったり、もうすでに終わってますね。というか、テナント募集も良いんだけどその隣には、珍しい看板もあったり。

「社交三悪追放の店 暴力行為 無銭飲食 飲酒運転 岩見沢社交金曜会 空知地区暴力追放運動推進協議会 岩見沢防犯協会 岩見沢警察署」

「いろは旅館」

駅周辺にはビジネスホテルもあったりしますが、この旅館なんて3500円から泊まれるみたいなので、裏探訪取材班みたいな放浪の旅には丁度いいかも。場末感パナイですが、なにせビジホの半額ですからね。

「ワールドビル」

比較的新しい飲み屋ビルもあったりするんですけど、昼間なんでこんな感じだな。夜になるとネオン輝き本領発揮といたところなんですかね。

「第三ポルタビル」

再開発ビルであえ~るの隣には第三ポルタぶるという物件があったりするんですが、ここらがかつての「三条遊郭」があった場所だという。

岩見沢の遊廓は近代において、三世代ほど変遷しているようで、当初は駅の北東の元町という場所にあったという。その後、明治中期にこの地に移転した。その後この場所が1925年(大正14年)にあった岩見沢大火で焼失してしまう。

その後この場所は復興を遂げることになるが、その時この地に遊郭があるのは問題があるとかなんとか揉めて、元々あった元町に1928年(昭和3年)に再度移転する事になる。

 

1931年(昭和6年)発刊の遊郭探訪のバイブル「全国遊郭案内」に記述される「岩見澤町遊郭」(三条遊郭の系譜)はこの大火後元町に移った後の様子が描写されているようだ。これを引用してお伝えしよう。

「岩見澤町遊廓 は空知郡石見澤町字元町に在つて、函館本線岩見澤駅から東北へ約十二丁タクシーは賃一人五十銭である。岩見澤は石狩平野のc中心地で、空知炭田の中心市場である。人口約二萬五千の繁華地で、室蘭線は茲に起点を置いて居る。」(続く)

この地は、遊郭こそ1928年に元町に移ってしまったが、その後は遊郭から完全に脱したわけではなく、戦後もガッツリ赤線風情としてアヤシイスナック街になったわけか。なかなかの岩見沢遊郭史だな。

「貸座敷は目下6件あつて娼妓は廿十五人居る。北海道の女が多い。」(続)

なるほど。そんなに規模は大きくないみたいだが人口が2.5万人の時だったことを考えると、戦後は6~7万人まで倍増しているので現在の規模感なのも頷ける。今回は2世代目中心地の「三条遊郭」(岩見澤町遊廓)を見て行くのだが、元町にあった1世代目、3世代目の「岩見澤町遊廓」も今度、時間があれば見に行かなくてはいけませんね。

 

「三条小路」

その2世代目三条遊郭跡には「三条小路」という怪しいスナック街があった。次回最終回、界隈を見て行きましょうかね。

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(2019)