全国裏探訪というサイト名だけあって、やはり“裏”に焦点を絞って取材しているわけだが、ある人物からこの度タレコミがあった。それは「「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」というのを知っていますか?」との話だったので、裏探訪取材班は即座に「知っている」と答えた。2018年6月30日に、世界遺産として登録されたので時事ニュースに触れていれば一般の方でも知っている方も多いだろう。だがこのタレコミは、このありきたりな潜伏キリシタンの話題ではなく、独自取材として“大分の隠れキリシタン”を取材してくれ。ということだった。マニアックで面白そうだ。取材班は即座に快諾。これを取材することになった。
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産ではなく「大分の埋もれる潜伏キリシタン関連遺産」として取材をした。(笑)
ではさっそくマニアックな隠れキリシタン跡を見て行こう。
「日出JCT」
取材班は大分道を走り、隠れキリシタンの痕跡を目指す。
〔33°03’06.1″N 131°41’03.8″E〕
大分県臼杵市にある下藤キリシタン墓地を目指す。とても道が狭い。
〔33°03’01.6″N 131°40’58.4″E〕
「下藤キリシタン墓地」
現役の墓地というよりは、廃墓地のような雰囲気だ。
日本式の墓地もこの通りほとんどの墓石が、散らばっている異様な雰囲気だ。
宣教師ルイスフロイスの「日本史」に記録によると、この臼杵市野原周辺には数千人のキリシタンがいたとされる。安土桃山時代から江戸時代にかけてキリスト教の信仰が盛んだったらしい。
「下藤地区キリシタン墓地」
この墓地は、下藤村の地侍でキリシタンだった洗礼名「リアン」がキリシタンを信仰した村人のため1579年(天正7年)ごろに造ったものらしい。
日本式の墓石ですら、このように地面に埋もれる始末。
1612年(慶長17年)に江戸幕府によるキリスト教禁教令が出され、全国のキリシタン墓地が破壊しつくれれた。しかし、2010年(平成22年)からの調査により、この下藤キリシタン墓地はほぼ完全な形で発見された。
キリシタン墓地を隠すかのように、日本式墓地が周りに建てられている。
約500㎡の墓地の中に、66基の墓の他、“広場状石敷遺構”という石を敷いた広場や、“道路状石敷遺構”という礼拝のための道、“礎石建物状遺構”という小さな建物のようなものが作られていたことが分かった。
俯瞰による「下藤地区キリシタン墓地」
66基ある墓の発掘調査では、“墓壙”(ぼこう)という棺桶を埋める穴と、墓標とみられる長方形の石も見つかった。
日本式の墓も建つが、ほとんど手入れされている様子はない。
これらの遺構の配置などから、宣教師たちが記録した墓地の様子がほぼ一致した。墓地全体の遺構が良好に残る国内最大規模のキリシタン墓地として特に貴重なスポットだ。
上空から真俯瞰にて空撮した「下藤地区キリシタン墓地」の様子。
当時の幕府によって完全に破壊が尽くされたかのように見えた、全国のキリシタン墓地だが奇跡的にほぼ完全な形で見つかった様子をご覧いただけただろうか。見つかると即死罪もあったような時代に、強い信仰心から禁教令下でも守り抜き、ひそかにキリスト教を信仰し続けた人々には頭が上がらないな。
次回も、他の遺構を見て行こう。
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(2018)