【熊本の】「八代」の旧赤線地帯と河童伝説。【第二都市】(2)

全国裏探訪取材班は、熊本第二の都市「八代」に来ている。

八代の現在は県庁所在地熊本に次ぐ都市だが、中世には博多、坊津と並ぶ大陸との貿易港で「徳渕津」があった。現に1587年(天正15年)にあった豊臣秀吉の九州征伐時の人口は5万人を超え肥後国(熊本)で最も栄えていたという。その八代の地が今どのようになっているか、見て行きたい。

現在取材班は堤防の役割をしている、赤い線の土手にて取材をしている。

土手上には、「TAKNOKO HOUSE」タケノコハウス。ナメた名前だがテナントはある程度埋まっている模様。

こちらは「スカイビル」。その名の通り、5階部分が展望ラウンジのようになっている。ここはテナントがほとんど埋まっていない。

「CLUB 上海」などが入るグリーンビル。

 

グリーンビルの前から、土手を市街地側へ下る。

降りて来たところに「スナック たそがれ」。何でここまで看板がひん曲がっているのかわからないが、、なかなかのくたびれ感だな。

そのたそがれの前には、「エロデア」。微妙なネーミングだが何の店だか分らなかった。

一応「IZAKAYA」とは書かれているが・・w

 

「あけみ」「和風スナック 茶々」「きみこ」きわどい建築様式だが、カフェー建築のような感じに感じなくもないがまぁ違うだろう。

「ウエストビル」

「日本バーテンダー協会会員の店 志摩 SHIMA」シンプルでいい造りだと思う。ただ一般人を寄せ付けないオーラがある。

上の「志摩」の前には廃スナックか。対抗するように佇む。

 

「Shirasagi Build」

「ふぐ汁 お茶漬 だご汁 小麦」いまどき流行る店には見えないが・・

再開発も全くない為、このような古い家屋も多い。

「本町ビル」さすがかつて肥後一だけあって飲み屋のビルが多い。

 

「アルファビル」バブル真っただ中のデザインだ。前衛的でぶっ飛んだデザインがまたイイ感じだ。素晴らしい。(笑)

「snack 飛飛 フィフィ」水分の抜け粉を吹いた紫の看板に、飛飛(フィフィ)とはなかなか乙なネーミング。
裏探訪取材班は、再土手に上がる。この土手上はスナック、キャバレーを訪ねてねり歩くには最高の立地。写真のように土手下にあるスナックへ誘導する小道もある。

「白馬 WhiteHorse」今の時代にキャバレーとは時代錯誤も甚だしいが、じっくり見て行こう。

「キャバレー 白馬」上だけを眺めるとレトロな看板にグッと来てしまう。看板裏のサビれ具合も秀逸。もはや遺産だな。

 

「八代観光(株)ニュー白馬 事務所」左のゴミ箱にも「白馬専用」と書かれている。

「慶寿のお祝いは白馬でどうぞ スタッフ募集」

キャバレー白馬は1957年(昭和33年)創業。以来グランドキャバレー形式の店舗としては西日本唯一らしい。

入口から内装はゴージャス。今も現役のこのキャバレー白馬は、八代を誇る大物歌手“八代亜紀”もデビュー間もないころからここで歌っていたようだ。更に梅宮辰夫、松方弘樹もこの白馬に縁があるよう。一度夜探訪しタイムスリップしてみたい。

八代の繁華街はまだまだこれから。赤線跡もまだ紹介していない。次回さらにDEEPな部分を見て行こう。

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(2018)