全国裏探訪取材班は、自然現象“マクリダシ”と“原子力発電所構想”があった廃村「角海浜」中心部まで来た。昔の集落はどのようなものだったのかを見て行きたいと思う。
現在の角海浜中心地。50年前まではここに確かに街が存在した。取材班が独自に当時の写真を入手したのでご覧いただこう。
こちらは1960年(昭和35年)頃の角海浜の様子。10年後の1970年頃には住民の完全離村が始まるので、この写真のころは既に限界集落に近いころだろう。この写真から解るのは家屋は約15件くらいか。すべては母屋ではないにしても、この時点ではまだ村の機能があるな。
恐らくこの当時の写真を撮影したポイントは、角海浜集落エリアから南のこの山腹ではないだろうか。現在集落を南北に横切るこの道の両側は高さ2~3mの雑草に覆われている。
当然、道路両側の土地は東北電力の敷地となっている。どこからが境界かなのかは厳密には分からない。
取材班は道と思しきところがあったので、南北の道から外れ、東側の旧集落エリアに向かって足を進める。
ある程度進んだところで藪が生い茂ってきて、これ以上進めなくなってしまった。地図ではまだ奥に行けるはずなのだが・・誰も通行しないので自然に還りつつあるのか。国道が建設される前は、この道を通じて越後平野の集落まで山道を徒歩で行っていた。
そして万能薬と知られている“越後毒消し”(正露丸みたいなやつ)も実はここが発祥。漁業や農業だけで食べていけない家庭が、その家庭の若い娘を薬売りの行商としてこの山道を通り全国に出稼ぎに出し、家計を支えていたという。まぁマッチ売りの少女みたいなもんか。生活は苦しかったようだな。
取材班は他に少しでもかつての角海浜村の痕跡はないかと探すと、藪の中になにやら井戸のような遺構があったな。これは当時のものに間違いないだろう。
取材班は元の道に戻り、今度は南方面へと歩いていくとこちらにも雑草が無くなった場所があるな。
そこを進むとなにやら石碑のようなものが建っている。
「南無阿弥陀仏」
「平成四年十一月八」
これはおそらく個人の墓だろう。碑文によれば、1992年(平成4年)にここに葬られている娘が建てたという。間違いなく角海浜に住んでいた人の墓だろうな。集合体の墓地ではなく、単独であるのがどこか物悲しい。
かつてこの場所に角海浜村という独立した村まであり、貧しいながらも数百人が住んでいた。今からは考えられんな。昭和の終わりにはこの集落の発掘調査も行われ、骨壺が出土したり、中世の陶磁器や漁具が見つかったりと古くから漁村としての存在が確認された。
そんな中世から漁村としてそれなりに栄えた角海浜も自然現象マクリダシによって生活できなくなるほど追い詰められていくことになる。次回そこんところを解説していく。
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(2017)