全国裏探訪取材班は、現在は新潟市エリアに属する消えた廃村「角海浜」を訪ねるべく隣町の五ケ浜まで来ている。ここは、かつて角海浜と兄弟集落で地形も似通っている。
「有形民俗文化財 篠原幸三郎家住宅」
この物件は明治初期に建てられた物件で、この地方の典型的な民家の造りだという。母屋の他に、物置、小屋、土蔵がある。
母屋は、寄棟平入り造りの茅葺だ。ここには角海浜の廃村前の生活用具も保存され、角海浜の中流家庭の往時の様子を偲ぶ貴重な材料になっている。
「赤い橋」(別名血染め端)
これは五ケ浜集落から見える、正式名称浦浜大橋という橋なのだがここも道中の心霊スポットの一つだ。地元民曰く、その昔看護士がここで自殺したらしい。その為ここを車で渡る際、会話をしてはだめだという。会話をすると直後事故をするというオカルトスポットだという。
〔37°46’08.7″N 138°48’41.9″E〕
こちらは越後七浦シーサイドラインから少し旧道に入ったところ。ここから旧角海浜村へと入っていく。
「この先 道路脇が崩壊した為 通行できません 西蒲区建設課」
少し前まで自動車が通行出来たようだが、現在は封鎖されている。ただし道は公道のようなので人の通行はできる。早速進入しようか。
入るとすぐに越後七浦シーサイドラインとの立体交差がある。
それを超えるとついに角海浜へと続き道が始まる。現在は道のわきに電柱が立ちかつて集落だったことを思い出させる。
取材班は道の山側に白い看板があることに気づいた。
その看板は道中の所々に存在している。内容は・・
「ここは、 東北電力 株式会社の 用地です 無断立入を 禁じます」
このような看板が建っている。この地には東北電力の発電所などは無いのだが、実は廃村となった経緯には自然現象のマクリダシ以外に、この東北電力が深く絡んでいる。
実はこの土地は東北電力により1969年(昭和44年)に“巻原子力発電所”の構想が始まった。すでに当時この角海浜地区はマクリダシによる土地浸食の影響などで限界集落と化しており、かつ、都会とは弥彦山塊を隔て日本海に面する過疎地域なので原子力発電所の設置にはまさに絶好の土地だった。以後分かったことだが、実は東北電力は構想実現のため発表前から極秘裏に遊園地名目で土地を買っていたという。
「東北電力角海浜連絡所」
1971年(昭和46年)には本計画が正式に発表され、同じくその年に角海浜の住人は集団離村後行われることになる。その後1974年(昭和49年)に最後の住人がこの角海浜を離れた。
取材班はかつて角海浜村の中心だったところまで来たので、次回誰一人も居ない廃村の様子をお伝えしていく。
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(2017)