全国裏探訪取材班は、ネット初公開の和歌山県和歌山市「和歌山港」駅裏のオンボロバラックを訪ねている。今回当時を知る昭和1桁生まれのネイティブワカヤマンに当時の様子をお聞きしたので、そのお話も聞いていきたいと思っている。
「和歌山港の様子」
取材をしたのは、1945年(昭和20年)当時14歳だった取材班の祖父。その人曰く、実はこの和歌山港は終戦を迎えた後は大陸からの引揚者が、よく港湾労働者とした働いていたのだという。
和歌山港の隣には、橋を隔て青岸という半埋立地もありゴミ焼却場もある。戦後はここの埋め立ての労働者としても彼らは動員されたようだ。彼らは引揚者と言っても日本人ばかりではなく、朝鮮半島から逆流してきた朝鮮人も大勢含まれていたようだ。
無論、終戦直後の日本は男は戦争に駆り出され大勢が戦死、大都市の和歌山市1945年(昭和20年)7月9日に和歌山大空襲に遭い和歌山市の建物密集地のうち52%を破壊された。残ったのは女子供であり、外国人、とりわけ中国朝鮮の連中が大暴れしていたのだという。
彼に聞いた取材の中で、一番印象に残ったフレーズがある。それは「とにかくアチャラの人間はえげつないっ!我々が負けたとなったら、親の仇みたいにやりくさって!ホンマ!」と語気を荒げた。
取材班は、落ち着かせつつ次の質問に移った。和歌山港駅の裏のバラックは知っていますか?と訪ねた。最初は少し考え込んだいたようだが、すぐに理解したようだった。「あーあそこか、行った行った!昔単車悪なったから見てくれ!言うて修理したったら、てきらよけ悪なったゆーて金踏み倒しおったんや!確か名前は金田いうたわ!こんじょべたやでてきゃらわ!」ちょっと興奮していたので和歌山弁がすごかったが、標準語訳したらこうだ。
「あぁあそこか!行った行った!昔バイクが故障したから修理してくれ!と言われたので修理してあげたら、彼ら更に悪くなったと主張して、修理代を払わなかったんだ!確か彼の名前は金田と言ったかな。性格が最低すぎるよ彼らは!」と言った感じだろうか。そういや取材員の祖父は和歌山でバイク屋さんをしていたのであちこち行ったことがあるらしい。それでも、修理をして直した上、修理代を踏み倒され、しかもプロに対して更に悪くなったと主張するのはよくある朝鮮人のやり方だな。
恩を仇で返す。さらに、なぜか善人側が謝罪と賠償を要求される。マジで基地外ですよねw
とくに古い世代は、無条件に特亜人を差別することもままあるので、取材班思うに、まぁ昔の人はそんな差別意識があるのか。と思っていたものだが、実はこの世代は実際大陸人にかなり手を焼いていた世代なのでそのような意識になったのかもしれん。まぁ無理もない。やはりそこに関しては戦後教育を受けていない、昭和1桁生まれの人の意識は正しかったのかもしれん。
次回は、残るバラックを見ていきましょうかね。
その祖父は1931年(昭和6年)生まれの古い和歌山を知る貴重な人だ次回はその人物に話を聞いてみようか。
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(2021)