全国裏探訪取材班は、広島市へとやってきた。まぁ日本の全国民が「ヒロシマ」と聞けばまず思い浮かべるのはやは大東亜戦争(太平洋戦争)末期における米軍による無差別虐殺。そう、原爆投下では無いだろうか。
「広島市内」
1945年(昭和20年)8月6日、1時45分にサイパン島テニアン飛行場から飛び立ったB-29爆撃機エノラ・ゲイ号によって、同8月6日午前8時15分47秒、世界で初めて原子爆弾が実戦で利用された。
所で、日本人ならば平和学習と言う洗脳教育を受けており広島や長崎で修学旅行などで一度は訪れたことがあるだろう。ところで、この写真をご覧いただきたい。おそらく、広島の慰霊に訪れた際はここに行ったことがあると思う。慰霊碑の先には原爆ドームが見えると思う。当然このような慰霊碑の配置なので原爆が落ちた地点はこの場所か、原爆ドーム付近だと思っているのではないだろうか。
「原爆ドーム」
もちろん平和教育が悪いことだとは思わないが、肝心要の原爆が落ちた地点は実はここではない。何時間もかけて全国から広島くんだりまで平和教育を受けに来て居ながら、爆心地も知らないなんていったい何のための教育なのか。ただ単なる、平和ガーー。憲法九条ガーー。軍部の暴走ガーー。悲惨さガーー。と自虐史観に基づいた洗脳教育なんてまぁ所詮その程度の教育です。
元安川(手前)と本川(奥)に挟まれた中洲にある平和記念公園と広島平和記念資料館。ここに原爆が落ちたと思っている読者のために今回取材班は、実際の爆心地を訪れた。
「広島に原爆を投下したB-29 エノラ・ゲイ号」
投下の数日前の8月2日、米軍は野戦命令13号を発令。原子爆弾の投下目標を通達した、第1目標は「広島市街地工業地域」、第2目標「小倉造兵廠および小倉市」、第3目標「長崎市街地域」と定められた。エノラ・ゲイ号の出撃に先立ち、8月6日0時37分、先発のB-29による気象観測機3機が離陸。ストレートフラッシュ号は広島、ジャビット3世号は小倉、フルハウス号は長崎へと離陸。
同日7時過ぎ、エノラ・ゲイ号に先行していた気象観測機ストレートフラッシュ号は広島に到達。ストレートフラッシュ号からの「Y3、Q3、B2、C1(天候良好・第1目標を爆撃せよ)」との報告を後続のエノラ・ゲイ号が傍受。この時攻撃目標は広島に決定された。
「相生橋」
投下目標は相生橋とされ、そこは今でも平和公園北側に存在する。相生橋は広島市中央を流れる本川(旧太田川)が分岐する地点に架けられたT字型の橋だ。
8時15分17秒、エノラ・ゲイ号の原子爆弾リトルボーイが投下。投下したリトルボーイは爆弾倉から放たれると横方向にスピンしながらふらふらと落下。
「リトルボーイ(実物)」
数十秒後尾部の安定翼によって放物線に変化し、投下から約43秒間後、相生橋東南の島病院付近の高度約600メートル上空で炸裂した。
原爆投下当時は多少の風であおられ、目標の相生橋を外した原子爆弾なのだが一体どこの地点で炸裂したのだろうか。取材班はその正確な「爆心地」を求め広島市内に入った。次回現場を見ていこう。
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(2021)