【バラのまち】福山の「新町遊郭」界隈に一発屋(パツ屋)ってまだあんの?!【には棘がある】(4)

全国裏探訪取材班は、広島県福山市にある「新町遊郭」の住吉町界隈を見てきた。今回も続きを見ていきましょうかね。

取材班は少しずつ住吉町を離れ南の区画の松浜町あたりを見ていこうと思う。お伝えしている通り、この新町遊郭は縄張りが広くこれぞ中心地!と言う中心地は無い。

時より見せる一般の商店には公明党や共産党の左巻きのポスターが並んで居たり、香ばしい風景が我々に主義主張をする。

「新町」

住所的には広島県福山市住吉町なんですけど、新町遊郭の”新町”の地名が電柱に残っている。

「ほっと館」

ちなみにこの界隈の往時の様子はどんな感じだったんでしょうか。全国遊廓探訪のバイブル、1931年(昭和5年)発刊の全国遊廓案内を見ていこう。

「福山市新町遊廓 は廣島縣福山市新町に在つて、山陽線福山驛から東へ約三丁、乘合自動車賃は片道金十銭。福山は元阿部氏の城下で、福山城址は公園に成つてゐて今でも 五層の天守閣が残つて居る。(続)」

「「左義良、左義良と、吉備津の左義良、上は鶴龜五葉の松」「見たか見て来たか、福山の城を、前はお濠でぼらがすむ」等の歌は何れも福山城を歌つたものだ。(続)」

「目下貸座敷の組合員は五十三軒あるが、揚屋は二十五六軒位で、娼妓は百六十人居る。中國、四國、九州邊の女が多い。藝妓は一人も居ない。店は寫眞店で陰店は張つて無い。娼妓は殆んど送り込み制で、居稼ぎは殆んど無いと云つて善い。(続)」

「遊興は時間制と通し花制で、費用は一時間遊びが二圓、引け過ぎ一泊は五六圓と云ふ所だ。臺の物は附かない組合員は富士見樓、新玉樓、月見樓、順風樓、都樓、日の出、金の家、松葉、大福樓、(続)」

 

「東雲樓、魚佐、正美樓、明治樓、山陽樓、恵美須樓、開花樓、浪花樓、福山樓、喜見家、玉川、氣儘亭、改新樓、松一、山平樓、花福樓、若胡、一松亭、梅月樓、末魔、敷島店、翁樓、いろは樓、一樓、髙田亭、敷島、勝利亭、淡宇、世界樓、春雨、掬水、淸月、(続)」

「初音新世界、萬歳、髙田支店、入船、おた福、成田樓、瓢亭、一力、吉備樓、第二明治樓、勝利亭支店等である。附近には天草明王院、鞆の浦、沼名神社、吉備神社等がある。」

この広島の地方都市ながら娼妓が160人ほどいたらしい。やはり福山はなかなかの規模の都市で、その遊郭だったようだ。

 「アメリカ軍による空襲を予告する伝単」

それもそのはず、広島に原子爆弾が投下された2日後に福山は福山大空襲を受けた。それほど重要な都市だった。ちなみにこの資料写真は1945年(昭和20年)8月1日に日本全国の各都市撒かれたアメリカ軍による空襲予告の伝単だ。この中にも「福山」の文字が見える。

1945年(昭和20年)8月8日午後10時25分頃からB29爆撃機91機による無差別爆撃で福山市街地は灰燼に帰した。このマップの緑色に囲ったところに「新町」と書かれている。要は「新町遊郭」も焼き払われてしまったわけだ。どーりで古い物件が皆無で、赤線チックな物件ばかりな訳だ。

 

焼き払われた後も赤線として見事復活。お、もうすぐ松浜町を離れ入船町に差し掛かる。

次回、入船町界隈を見ていきましょうかね。

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(2021)