全国裏探訪取材班は、福岡県田川郡添田町へとやって来た。ここには連合軍と旧日本陸軍並びに警察官の不祥事による火薬の処理ミスにより山一つが丸ごと吹き込んだ「二又トンネル爆発事故」の現場、彦山駅周辺を探索している。
爆発は、半径2キロメートルは悲惨な状態だったと聞いた。そのためこの辺りも恐らく焦土と化していたのだろうか。ちなみに記録によると、事故発生から少なくとも5日ほどは集中的に活動していたようだ。
「埋没犠牲者の遺体発掘現場」
もちろんこの事故はアメリカ軍と日本の旧陸軍と警察官のよく言えば素敵な勘違い、もしくは思い込みから発生した事故なのだが、アメリカからの補償は一切ない。無論こんなニュースアメリカにとって都合の悪いニュースであるため、報道規制が当時敷かれた。
この写真は現在の彦山駅の線路撤去工事中の写真なのだが、当時も辺りはこのような更地になってしまったのだろうか。ちなみにこの爆発に因んで、珍しい踏切があった。
「爆発踏切」
その名も、爆発踏切である。現在は残念ながら九州北部豪雨による日田彦山線の復旧は採算が合わないことを理由に廃線になり撤去工事が進んでようだ。
そして亡くなった住民はどこに埋葬されたのだろうか。二又トンネル近くにある画像右上に「昭光寺」というお寺がある。ここに当時の大爆発で死亡した住民が供養されている。
場所は非常にわかりにくく、近くの土手沿いにある小さなお寺である。道は舗装されて綺麗なものの、なかなか位置関係ならびにお寺特有のモニュメントが少ないため、訪問時はご注意願いたい。
こちらが慰霊碑である。事件から80年近くが経った今現在生き延びている住民も少なく、このような事件にフォーカスを当てる人も少ないので、例えお寺とは言え、慰霊碑の劣化が激しいように見える。
被害住民の名前がずらりと刻まれている。ここでの被害者は死者147名、負傷者149名、家屋135戸らしい。この中にはドングリ採集をしていた落合小学校の児童29名も含まれていた。当然家族もろとも犠牲になった方も多く同じ苗字が複数並んでいた。
被害への賠償は「戦時災害保護法」が適用され、福岡県より500円が支給されただけだった。現在の400万円相当となっているが、戦後間もない当時のため、家や商売道具、畑や家族を失い、400万ほどの見舞い金とは、かなり厳しかったのではないだろうか。
事件自体は誠に遺憾だと感じるもの、この事件も慢心と過信が引き起こした事件である。いくら確認作業を行ったとはいえ、トンネルの中の収納率を吉木トンネルと比較して見れば明らかではあるし、500トンの火薬をトンネルの中で燃やし続けるなど、安全管理のうるさいこの現代においては到底許されることではない。
これを現代に置き換えて、アメリカ軍と自衛隊の過信によって一瞬にして小学校の児童1クラスの子供達が吹き飛びました。となればたちまちマスコミは黙っていないだろうし、アメリカ軍のヤラカシに乗じてアチャラの方が勢い着くのは間違いない。
今こうして日田彦山線の廃線工事によってこの事実が少しずつ消え去ろうとしている。日本の裏歴史「二又トンネル爆発事故」が消え去る日も近い。
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(2021)