全国裏探訪取材班は、甲府市丸の内「暗渠バラック」を独自に現場検証をしているんですけどいかがだろうか。もう、凄まじいと言うか何というか今までここに人が住んでいたなんてこれはやばいとしか表現ができない。
「暗渠バラック崩壊現場」
では、なぜ本来建築物である物件が建ってはいけない場所に、このようにバラックが立ち並んでいるのでしょうか。
河川法第24条(土地の占用の許可)によれば「 河川区域内の土地(河川管理者以外の者がその権限に基づき管理する土地を除く。) を占用しようとする者は、国土交通省令で定めるところにより、河川管理者の許可を受けなければならない。」
という記述がある。ただ実はよく考えるとこの濁川は1967年(昭和42年)に1級河川として認定。河川法の適用を受けることとなる。当然それまでは河川法は適用されずこのように文字通り無法地帯だったわけだ。
当然現在は、河川法に於いて暗渠部分に関しても建築は許可されない。しかし戦後ドサクサ期に建てられたこの11棟は適用前に建てられたので所有者の合意無き取り壊しや立ち退きやを強制することはできないのだという。
だったら建築基準法違反なんかで対処すればいいんじゃね(?!)なんて言う意見も聞こえてきそうだが、実は建築基準法も戦後しばらく経過した1950年 (昭和25年)からなので戦後ドサクサ期とすればこれも適用外となる。
「小料理 春美」
「丸の内二丁目 30-5」
なるほど。そりゃ、法律の内側でしか対処できない行政にとっては手も足も出ないわけか。まぁ建てた者勝ち、やったもの勝ちだったのが戦後ドサクサ期の特徴でもある。
ほら、あとここなんかもご覧いただきたい。ここは崩落現場の隣の物件なんですけど、暗渠の蓋のコンクリート部分が割れているのがお分かりいただけるだろうか。
しかも、この暗渠の蓋部分の鉄筋コンクリートの板はだいたい目測15センチぐらいの厚みしかなく、鉄筋の量もかなり少ないように見て取れますよね。しかも、戦後期のコンクリートなんでかなり目が荒く雑なのもお分かりいただけると思う。
取材班の中には建築系の者も居るのだが、本来こういう場合は断面が「二」ではなく「工」型のような格好で、暗渠の蓋の真ん中に柱を入れるか、壁を作るかをして上物の重量を支えるのが基本中の基本なのだろ言う。確かに、こう見ると川幅に対して暗渠の蓋の厚みが薄く、蓋を支える柱や壁もない。
そんな脆弱の地盤の上にバラックを建て、しかもそれだけならまだ崩壊しなかったのかもしれないが、物件の裏側はこの通り、完全なゴミ屋敷になってしまっている。これはひどいな。
「大衆食堂 にしき」
まぁ、この大衆食堂のネーミングで言えば”襤褸(ぼろ)を着ても心は錦(にしき)”とも言ったりするが、襤褸やゴミもためすぎると物理限界に達し崩壊してしまう。この甲府市丸の内「暗渠バラック」の崩壊ももしかすると彼らの身から出た錆なのかもしれない。
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(2021)