【潜伏キリシタン】が眠る「垣内キリシタン墓地」を調査する【弾圧】(3)

 

全国裏探訪取材班は、長崎県長崎市にきている。禁教期の厳しさを物語るキリシタンの墓を大量に発見した。外から見た時にはただの岩にしか見えないほど、案内板がなければ何を意味するのかわからない場所であった。その墓が意味するものは・・・

隠れキリシタンは重圧や死刑などから逃れる為に決して自分たちの信仰に対して口を開けなかったという。それが「カクレ」であり「隠れ」であることの最大の信仰である。

やがて日本も近代化に伴い、明治に入って1873年に禁教令が解かれたが、その後もひっそりと秘教のような形で先祖から受け継ぐ信仰の教えを守っていった。

そうすることで共同体の精神を保ってはいたものの、キリスト教本来の信仰の理解や隠れてしまうことによってキリスト教への一定の宗教的な理解も多少失われてしまったのも事実である。現に彼らは隠れることをやめなかった人々がおり、カトリックへ回帰していないものも少なくはない。

とはいえ、一定の伝統や風習といった形で地域ごとに色を変えて残っていった。しかしながら、禁教令が解けた時もやはりマイノリティだった彼らは差別や弾圧を少なからず受けながら信仰を守っていったそう。

キリスト教を仏教や神道をカモフラージュとしながら、彼らが信仰を守っていった結果、現代には非常に興味深い形の墓がこうして残るようになったのだ。キリスト教の墓の上に祠が乗るといった奇妙な構図は他の地域ではなかなか見られない構図である。

戒名と下の墓の主は同じであるかどうかは今となってはもうわからないのだが、ただ、世界的な歴史をたどると宗教がこのようにして入り交じった墓を形成することは非常に珍しい。世界レベルで言えば、民族や文化の違いによって同じ地域に複数の宗教が入り混じっても墓は別々の様式で別れていたし、ましてやカモフラージュをするといったことはなかなか見られない。

特にこの長崎は江戸前後は日本の貿易の中心となるような街であったため、オランダやスペインなどのヨーロッパだけでなく、隣の中国の文化も色濃く残ったりとお墓だけにフォーカスしてもとてもユニークな墓石が見られる。それは現代においてもこの地域にはきちんと残っている。

それを示すのが、先程の墓地から更に上にあがってみたところに残っているらしい。さすが長崎と言わんばかりの急な坂が続く。一見こうしてみると、斜面に造ったこの土地の住人の集団墓地のように見えるが・・・ 

 

さあ、この墓を見てほしい。まず目に映るのはきっとどこかで見たことある家紋である。歴史が好きな読者なら一発でわかるかもしれないが、この家紋は「五三の桐紋」である。そう・・・この家紋はかの有名な「豊臣秀吉」の家紋と同じ家紋である。この墓の家柄がどういう経歴でこの家紋なのかまではわからない。続いて横の小さな墓石を見てほしい。

「土神」と書いてある。これは中国文化の名残であるらしい。考え方として「お墓の土地を神様から借りている為、土地の神を祀ること」を意味するらしい。日本では「お地蔵様」などや「氏神様」といったものが近いものらしく、長崎にあった唐人屋敷に「土神」を祀ったことから長崎市民の文化にも溶け込んでいったらしい。まさにここの墓は長崎の文化の象徴とも言える墓だと思う。次回もどうぞ。

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(2021)