全国裏探訪取材班は、鹿児島県鹿児島市へとやってきた。今回は熱心な読者よりのタレコミに従い「易居町」というスポットを取材している。ここはタレコミをいただいた熱心な読者の祖父が孫娘に「絶対に行くな」と言っていた場所なそうだのだが、実際のところはどうだったんでしょうかね。取材班は地元民にも聞き取りを行いある種結論に達した。
「白鳩百貨街跡」
こちらが前回まで紹介している、鹿児島市易居町の白鳩百貨街跡だ。市役所からも徒歩数分の好立地にかかわらず区画が空き地だらけなのはやはり権利関係が複雑だからか。それともややこしい組織が仕切っているのか。
丸太の杭が打ち込まれてはいるのだが、開発される様子はない。この感じだと10年20年はこの有様なんじゃないでしょうか。もしかすると、鹿児島の朝鮮人バラックのココみたいに物件を建ててる主人がこの世からいなくなるのを待っているパターンだったりするんでしょうか。
「元吉鮮魚」
ここは魚屋か。”元吉”という名前からおそらく鹿児島の姓ということが窺える。こういうことからも日本南端の場末だということがわかるな。
このレポの発端自体、正直、他界した祖父だけの過去の注意だけで情報が少なすぎるので、もはやここまでか。と思っていたんですけど、ここの近くで老人が井戸端会議をしていたので、取材班は井戸端会議に参加。かつての易居町の雰囲気を聞き取ることに成功した。
これは有力な情報が得られるかもしれないので、初めは他愛もない話から切り出す。「今日はいい天気ですね。」日柄もいい平日の昼下がりだけあって老人の警戒感はまるでない。まんまと井戸端会議に参加できた取材班はこの辺りの戦後の様子をそれとなく聞いてみる。
老人たちの話を聞き取ったところによると、ここに戦後は朝鮮や中国大陸からの引揚者や家族を失った子供、それから戦災未亡人などが多くいたそう。もちろん、そんな混沌とした時代だったので、闇市的なものがあったのだとか。それが戦後から2、3年続いたらしい。
「小料理 小鹿」
それからは、その引揚者などが掘建て小屋のような小料理屋やスナックのようないわゆる飲食店をするものが多くいたそうだ。引揚者は比較的大陸で裕福な生活をしていたようで、金銀を備蓄していたものも少なくなかったらしく彼らの再建は比較的早かったらしい。
しかし、物件を建てられるほど余裕のない未亡人たちは、この街の発展を利用し、鹿児島中から集まってくる男たちを相手に体を売って生活していたようだ。そこで取材班は、もう少し詳しく話を聞いていくとにする。
「潮風をまとって歩く 易居町 やすいちょう」
この「易居町」次回最終話最後まで良ければご覧ください。
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(2021)