全国裏探訪取材班は、鹿児島県霧島市に来ている。現在「山ヶ野金山」の麓にある、60年近く前に廃校になった「高木小学校」を案内いただき、探索している。
この高木小学校はもちろん金山が栄えたことにより1888年より開校され、1963年に金山の閉山とともに、人口が流出し閉校。卒業生は約900人ほどを排出した公立小学校である。
校舎は既になく、現存して残っている建築物は小学校を利用した高木地区公民館である。画像は正門である。1888年から1963年迄の75年間で901名の卒業生がいたとの記述からおよそ、毎年12名ほど卒業していったことになる。
「高木地区公民館」
さすがに校庭は広い。老人曰くここでよく凧揚げや飛行機を飛ばして遊んでいたらしく懐かしんでいた。
当時の校舎の廃材を利用していることもあって、公民館全体の部品は古いものの、この面だけ見れば、校舎の面影を残していて、右側のアルミの扉を除けば、この写真1枚でノスタルジックな絵にもなる。
懐かしい炊飯器だ。次の出番は恐らくもうここに置いてある限り残念ながらないだろう。
建物の中を覗くと「高木小学校のうつりかわり」が書いてあった。始まりは記載されても”終わり”
の記載はない。終わりの記載はこの住民達では成し得ない。悲しいかな、これが現実である。
結局高齢化・過疎化が加速し、今となってはこの公民館はイベントで使用されることはほぼないらしい。むしろまともに利用できる人が近くに住んでいない、もしくは施設に入ったり、この町を出たりとで、使用するタイミングもないらしい。つまり事実上の空き屋であった。
いかがだっただろうか・・・昔大きな鉱山の集落として栄えたこの地も高齢化社会や過疎化の波に襲われ、人がいなくなり、段々とゴーストタウンと化していき、やがて自然に還っていくのだろう。我々はその一コマを切り出したにすぎない。
総人口に占める高齢者の比率は現在28.4%である。2053年には人口1億人を切る国となる。日本全体もこうして10年20年経つとどんどん統合が行われていくだろう。この町から今回学ぶべきものはなんだろうか。
それは読者に委ねたいところである。歴史は常に繰り返されるのである。結局どうすれば、この町をもっと賑わいをもたせることができたかとか、単純な田舎の暮らしのレポートと捉えるか、日本の未来と捉えるか、はたまた将来の不安と捉えるか。
少なくとも1つ確実に言えることはこれから日本の人口が確実に減っていき、高齢者の割合は増加するのである。高齢者は残念ながら、雇用を生み出したとしてもそれは一時的に経済は活性化するように見えるが・・・これから仮に子供が生まれたとして子供が成人するまで18~20年かかるのである。
戦争や疫病が発生して、人口比率が狂わない限り、確実に現在の労働者が高齢者を支える社会の構造自体は変わらない。悲しい話だが、これが現実である。今我々に何ができるか。そして何をすべきかは読者の皆さんもよく考えて行動、実行してほしい。
そういった意味でもこの町はそんな未来を我々に伝えてくれるのかもしれない。国際競争力が弱った国に訪れる未来は決して明るくない。その時果たしてあなたはどう生きるのだろうか。
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(2020)