【黄金の国】「山ヶ野金山」は思いのほか広かった!【ジパング】(9)

 

全国裏探訪取材班は、鹿児島県霧島市に来ている。現在「山ヶ野金山」という300年以上前から続く金山があった。金山の坑道を探索中で、島津久通を祀った徳源社に来ている。

ちなみにこの地の住所は「夢想谷」という地名である。なんとも・・・ジャパニーズドリームと言わんばかりの一攫千金に由来した名前なのか・・・いづれにせよ、ゴールドラッシュがあったことには間違いなかろう。

なんとも寂しい神社である。もちろん明治頃迄はしっかり社屋があったとか。手入れするものがいなければ、守る理由がなくなれば、いくら神とは言えど、寂しい姿だけ残すことになった。

金鉱石を奉納したところとて、もう金を掘り、金を守り、そして金を支えていく民はいなくなってしまった。

もうこの灯籠に火がつくこともないし、恐らくこの場所も日の目を見ずに静かになくなっていくのだろう。裏探訪取材班はもう日を見なくなった町や集落や神社をたくさん見てきた。

「山ヶ野金山史跡 料理屋跡」

神社を離れ、またしばらく進んでいくと、料理屋跡があった・・・・が、ただの雑木林にしか見えない。ここは当時鉱山を掘った廃石を利用して、鉱夫の長屋や、料理屋が作られたのである。

その後、第二次世界大戦の戦時中には疎開場所として利用されていたようであるが、今となっては本当に足元を見渡してわずかながらに残っているのみであった。画像は当時の器だろうか。だとするならば300年以上前に使われた貴重な器であろう・・・しかし炭坑で働いた後の飯は握り飯でもさぞかし美味かろう。

「夢想谷千軒跡」

すぐ隣には、夢想谷千軒跡があった。今では自然に還っているので、まったくその面影が見当たらない。明治から採れなくなったとあるが・・・正に夢想といったところだろう。こんなところに千軒と揶揄さらるほど家々が立ち並んでいたとは俄には考えられない。

日本は佐渡島といい、当時は今ほど大した技術はなかったものの、金がたくさん採れた。ここ山ヶ野も例外ではなかった。外国人から見た時には本当に黄金の国ジパングだったのだろう。

 

どこの坑道もそうだが、大人一人かトロッコが入って精一杯な大きさでしかない。酸欠より前にも相当な恐怖と、ストレスに強いられただろうな。

今後は逆に道が整ってきたルートに入ってきた。老人いわく、ここからは自分が通った学校に通じる道だったようだ。

ここも同じく過疎エリアで住人は既にこの世にいないとのこと。住んでいた当時の雰囲気だけが微かに残るのみで、ここもまたゆっくりと自然に還っていっている・・・

一応まだこの辺りにも数名住人が残っているそうだ。彼らはこの土地に愛着を抱いており、長年不便だとわかっていても雰囲気が好きだったり、先代の土地を守るためこの地にずっと住み続けているそうだ。

 

無論ここも江戸時代に開拓されたところであり、しっかりと当時の石垣は残っている。石は、木材や陶器とは違って耐久性が高く、自然との調和もしやすく劣化が少ないので、日本の石垣は地震や災害などの天災がないかぎり割としっかり残っている。

では次回は「山ヶ野金山」の既に廃校となった小学校を訪ねます。

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(2020)